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zoom RSS 満洲公主嶺 敗戦から引揚げ迄の記録 小松光治 最終回

<<   作成日時 : 2017/08/20 05:08   >>

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 2017(平成29)年4月20日から始まった「小松メモ」(あの敗戦から引揚げまで、苦難の軌跡をたどった旧満州公主嶺に住んだ人々の記録)が、7月26日、29回の連載を終えた。最終回に当たり、「公主嶺会」の事務局長・土屋洸子さんから寄せられた一文を紹介。
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   「小松メモ」について  土屋洸子
 
 小松光治氏が厚生省引揚援護局(名称は正確でない)に提出されたであろう「公主嶺日本人会設立ヨリ遣送終了魔で概況」は、公主嶺小学校創立80周年記念誌『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(略称:記念誌)の第10章に「小松メモ」として引用。記載された。資料としてまさに第1級の内容であったからで、その理由は、このシリーズ@(4月20日)に書いた通りである。

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 そして、7月26日、私(右写真)が小松氏の孫にあたる川嶋信子さんに、ブログ「満洲っ子 平和をうたう」に「小松メモ」が連載されたことを電話した。ブログのことをご存知なかったのでブログの名称や戸井義衛さん((公小33回生)、永井至正さん(37回生)の連絡先などを至急葉書で知らせた。その後、ネットで検索してくださったようで、8月10日、写真のコピーと手紙が届いた。
 小松光治氏のお子さんは(小松)吉田美代(公小22回生)、(小松)佐藤淑子(25回生)、小松三郎(27回生)、小松甲子郎(キネオ、37回生)の4名。川嶋信子さんはは長女美代さんの子ども。次男甲子郎さんと永井至正さん(旧姓神島)と私土屋(旧姓池田)は、37回生で、小1、2年生では岩森亘学級。小1年の学芸会で、小松君と私は「舌切雀」の老夫婦役を演じた記憶がよみがえった。神島君は小松君と大の仲良しだったはずだ。
祖父光治さんに抱かれる信子さん 左端
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 川嶋信子さんからの写真のコピーは、昭和のころの公主嶺・合利洋行(小松氏経営の会社)や家族一同のもの4枚と「第2次友好訪中の旅」(1985(昭和60)年5月17日〜24日)の8枚。7月26日の「小松メモ」のタイトル写真は、奇しくも「第2次友好訪中の旅」で、川嶋信子さんは、最後列から2人目に写っているそうだ。
 いただいたお手紙には『(前略)「小松メモ」をパソコン入力して世に出してくださって、ありがとうございます。ブログを開けたとたん、あまりに膨大な量の資料に、卒倒しそうになり、多大な労力と時間をかけて作って下さったことに感動し、深く感謝しております。本来ならば、我々小松光治の子孫がブログを作るべきなのでしょうが、私以外は皆亡くなってしまいました。(後略)』とあり、ご遺族の喜びを知ることができた。
 敗戦から引き揚げるまで苦労をともにされた旧公主嶺日本人会の関係者の方々が、ブログ「小松メモ」や記念誌第10章をみてくださることを、また、公主嶺に直接の関係が有る無しにかかわらず、日本人が生きた歴史に関心を持っていただけたら、と心から願っている。

第2次友好訪中の旅】 公主嶺駅前で
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