「満蒙開拓」悲劇語る 東京で集い

 満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村)は24日、開館5周年の記念イベントを東京・銀座で開催しました。寺沢秀文館長が「次の10周年に向けての新たなスタートを切る記念としたい。『田舎の片隅から世界に向けて平和を発信する、キラと光る記念館』をめざしこれからも頑張っていく」とあいさつ。(しんぶん「赤旗」4月25日付)
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    長野で開館5年 「国策」を告発
 
 続けて開館までの歴史や「語り部」「旧満洲調査訪中団」などの活動を紹介しました。
 このーイベントでは、寺沢館長の質問にゲストの作家・澤地久枝さんが答えました。澤地さんは幼少期に家族と旧満洲・吉林に渡り、終戦間近に、長野県の飯田下伊那地域から満洲に送り出された。「水曲柳(すいきょくりゅう)開拓団」で勤労奉仕しました。開拓団のすまいは窓のない泥の家で、18~45歳の男性は旧日本軍に招集されたため、女性や子ども、老人だけが住んでいたといいます。

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 1945年8月9日旧ソ連軍が旧満州に侵攻すると、旧日本軍は開拓移民を置き去りにして逃亡し、人びとは旧ソ連軍からも、土地を奪われていた地元民からも追われることになりました。逃避行の中で子どもを地元民に託したり、手にかけたりしたほか、地元民の妻になる女性もいました。「軍や当時の政府は開拓団のことなんて何も考えていなかった」
 澤地さんは「自分の国で食べていけるほど豊かであれば、誰がよその国に行きますか」と憤ります。政府は貧しさを解決せずに国民を外に追い出したのだと批判しました。

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