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zoom RSS 満洲・公主嶺 1945年8月15日

<<   作成日時 : 2018/08/15 05:33   >>

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 「1945(昭和20)年8月15日(水)、この日の公主嶺は雲一つない快晴だった。正午の玉音放送のことは、まだだれも知らない」(満洲・公主嶺・過ぎし40年の記録)と土屋洸子さん(現公主嶺事務局長)が書いた。それからの町のあちこちで、長く大陸に君臨していた日本人の子らには、思いもつかないことが数多く目撃された。
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 8月16日、国民学校では、朝礼で山本規一校長が「日本は聨合国のポツダム宣言の無条件降伏をのむことになった。国民一人一人が耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、日本のために力を合わせてがんばりましょう」と述べた。その日はそれぞれが帰宅した。
 町の子が並んで泰平橋(通学路)を渡ったところで中国人の子どもに囲まれ、その中の一人が手のひらを出し、上を日本、下を中国といって、その手をひっくりかえして、上下が反対になった。そして「どうだ、どうだ」とこづきまわされた。「ゾマヤン、ゾマヤン」とかれらがいった言葉は、今も耳に残っている。

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土屋洸子さんの思い
 公主嶺に生まれ、長くあるいは短く住んだ日本人の、公主嶺での営みは終わった。土地や建物、その他のものが、本来そこに住むべき人に返された。
 あれから40年が経った公主嶺でのさまざまな思い出は、今も懐かしい。しかし、あの公主嶺を思うとき、私たちの生活は日本人以外の民族の痛みの上に築かれていたことを知る
 いわゆる「15年戦争」での犠牲者は日本人は320万人、中国その他のアジア諸民族は2000万人という。
 戦いは突然始まるのではなく、長い年月をかけて人が始めるのである。戦場の戦いが終わっても、人の心の中の傷は長く癒されない。愚かな戦争を再び繰り返してはならない。戦争の空しさを次代に語り伝えたい。過去に触れることなしに、未来は語れない。過去を冷静に振り返り、現在を知り、未来を考えたい。

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