
1945年3月10日の東京大空襲で両親を失った元木キサ子さん(当時、小学校4年生)は、襲い来る火の中を逃げまどった体験を証言。戦後、裸で鉄格子の中に入れられている戦災孤児たちの写真を示し、「これが、国が起こした戦争で親を奪われた子どもにたいする国の仕打ちです。人格も権利もない」と、冷酷な国の施策を指摘しました。
両親と当時、生後3カ月の妹を東京大空襲でなくした吉田由美子さん=当時、3歳=は、小学校4、5年生のころ、親戚のアルバムから両親の写真が出てきて、親の顔を知ったといいます。「東京大空襲訴訟で敗訴確定後、民間人の戦争被害を救済する法律をつくる国会議員に働き掛けてきました。戦争は人災です。人災は絶対あってはならない」と訴えました。
東京都中野区の児童養護施設・愛児の家主任の石綿裕さんは、国の支援がほとんどないなかでとりくんできた孤児救護活動を報告しました。
東京大空襲・戦災資料センターの山辺昌彦主任研究員は、東京大空襲の全容と被害を詳しく解説しました。
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