
「引揚げ」この言葉も、その意味も近い将来忘れられるのではないかと思えてならない。原爆投下や焼土と化した都市は、国やその地域が様々な形で受け継いでいる今、これから先変わるとは思えない。
でも、引揚は違う。親世代はすでに彼岸に。私たちがこの世から消える頃、引揚の文字は薄れ、その言葉の生まれた背景すら捏造(ねつぞう)されて伝わるのではと嘆かわしく思っているのは私だけだろうか。公主嶺は一つの点でしかない。会は絶えても、渡満は国策の一つであったことを、歪曲することなく後世に伝えてほしいものだ。こういうのを老婆心と言うのだろうかと苦笑しながらも書かずにはおられない。
多くの人に見てもらいたい冊子やブログの発信、聞いてほしい実体験など・・・。我々世代は、どうも宣伝が下手で歯がゆいことだ。誰に問うこともなく自分が情けなく、悔しさに近いものを覚える。

10月12日の公主嶺会当日、世話人の交替があった。また、「満州の記憶」研究会の若者の公主嶺の写真の紹介もあって(実写は会終了後別室で)、時代の流れを実感するのに十分だった。また、私に出来ることは何? 思いあぐねても答えは出ない。
会は、いつものように、いや、いつも異常に話は弾み、心和む時であった。健康を得て久し振りに再会したとも・歩行補助器で駆けつけた友・家族の在宅介護をしながら自分も手術後間もないのに参加した友たちにあえた。みんな元気を出してやって来た。戦後も生き抜いた勲章を胸にやって来た。会の魅力は、いつも不思議なオーロラに包まれているように思う。
苦労を共にした仲間たちに会うだけで、力強い勇気がもらえる。絆の強い会であることは、今更いうまでもない。そして、この会で生まれる愛に、豊かな心に育てられて今日まで生きてきた。満ち足りた気持ちと感謝で家路に向う。今年も参加できてよかった。
みなさんのご健康を心からお祈りしています。
お世話して下さった方々、ありがとうございました。 では又の日に
則次美弥子
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