きょうは河上肇の没後75年 『赤旗・潮流』

日本学術会議への政府の人事介入で「学問の自由」が焦点になる中、戦前に弾圧を受けた一人、河上肇の名がたびたび挙がりました。マルクス主義経済学者だった河上は、言動が不穏当だとして、京都大学を追われました▼河上はまっすぐな性格でした。学生時代、足尾鉱毒被害の応援演説会で感動し、着ていた外套や羽織、襟巻きをその場で寄付。下宿に帰り、身に着ける以外の衣類もすべて行李(こうり)に入れて送り、関係者を驚かせたという逸話も▼経済学者として貧困の遠因と解決を追及。京大教授時代、学生だった岩田義道(後の日本共産党幹部)から唯物弁証法の研究の必要を説かれ、学生と一緒に弁証法の講義を受けたこともあります。そうしてマルクス主義の正しさを確信し、1932年53歳で日本共産党に入りました▼治安維持法違反で検挙され5年間入獄、出獄後は体調を崩しながら著述に励みます。戦争末期の45年新春には「なべて物みな終あり戦ひもいつしかやまむ耐へつつ待たな」と詠みます▼迎えた8月15日終戦。河上は「あなうれしとにもかくにも生きのびて戦やめるけふの日にあふ」と喜びにあふれた歌をいくつも詠みましたが、翌年に死去▼きょうは河上肇の没後75年にあたります。墓のある京の法然院には入党の感慨を詠んだ歌が彫られてています。「たどりつきふりかへりみればやまかわをこえてはこえてきつるものかな」。いまも、社会変革の志を持って入党する人たち。老若を問わず胸に秘めた思いはいかばかりか。(2021・1・30)

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詩が生まれるとき ふくしまの10年 ー4-

ツイッターは一日でやめるつもりだった。だが、福島県内の避難所や全国各地からたくさんのメッセージが届き、和合亮一さん(52)は驚いた。「詠んでいて不思議と静かな気持ちになりました」「福島に残した父を思って泣きました」「心が折れそうにになっていましたが、進むべき道が見えてきました」「あしたも読ませてください」【以下画面へ】(片山夏子)

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