公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード -13-

 公主嶺の母親たちは、いまから考えると大変な働き者だったようだ。男の子の洋服は買えるけれど、女児服は数が少なく、ほとんどの子供がお手製の洋服を着ていた。母親たちはいつもいつも洋服を縫ったり、セーターを編んだりしていた。(記念誌181頁上段)

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    大正末期の母親たち
       手塚明石(旧姓宗・24回生)

 
 割に垢抜けた格好をしていられたのは「婦人の友」「主婦の友」などを購読していて、流行に後れなかったせいだと思う。
 また、いろいろな講習会も多かった。神田さんの家ではお料理の講習会がよく開かれた。ロシア建ての家にはガッチリした地下室があり、貯蔵庫になっていた。それでも秋にトマトがたくさんとれると、ピュレーの一升瓶が玄関や廊下に所狭しとばかり並んでいた。

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 音楽では、お琴、三味線など、年に1回くらい学校の講堂で温集会を催した。町の浅野さん、足立さんの家でお稽古をしていた。私も母と一緒に通った覚えがある。先生は長春あたりから招いたように思う。尺八は奉天から名輪先生という方が見えていた。父たちは中本さんの家でお稽古をした。我が家も回りもちで稽古場になったりした。 】戦時中発行された「主婦の友」。

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