
「平和の俳句」 続けてほしい
主婦 伊藤 智子(36) (東京都豊島区)
「お母さん笑わなくなったよね」。朝食の際、不意に息子に言われた。昨年末まで毎朝、真っ先に目を通していた一面の「平和の俳句」。読み終わると、その日一日が平和に過ごせることを祈り、食事を頂くことが私の幸せな日課になっていたのだと気づいた。
幼い子の俳句に笑顔になり、戦時を生き抜いた方の俳句に心を痛め、改めて平和であることの大切さを思った。私の息子は、まだ戦争という残酷な歴史を知らない。二度と過去の過ちを繰り返さないためにも息子には、そのことをきちんと教えていきたい。
戦争の歴史を知ったとき、息子も平和の俳句を詠んでほしい。俳句には人の心が込められている。できれば半年に1回でも、特集紙面を作ってもらえれば・・・。
【追記】「新聞を読んで」 ジャーナリスト 森 健さん 「東京新聞ならではの指摘」から」 (2月25日付)
お別れもあった。「平和の俳句」が昨年末で終了して一月余。19日の発言面では、毎朝真っ先に目を通していたという36歳の主婦が「半年に1回でも」と復活を要望した。選者の金子兜太さんが亡くなったのは、その翌日だった。21日1面の評伝は「俳句への情熱と秘話への執念、二つの強烈な思いに貫かれた人生だった」と偉大な俳人を評した。
一世紀近い社会を見てきた俳人は春を前に旅立った。だがその眼差しはいまも読者に息づいている。
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