「平和への想い」 あの日この歌 「戦友」⑩

 語りのなかで、突如としてあの「戦友」を歌いだした。「ここはお国を何百里 離れて遠き満洲の 赤い夕陽に照らされて ここは野末の~」。野末ですよ。野の果てですよ。(小沢正一さん江東区で語る)

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「平和への想い」 あの日この歌「里の秋」 ⑥

 1945(昭和20)年12月24日、NHKの「外地引揚同胞激励の午後」という番組で発表された曲といわれています。楽譜に「やさしく」と指定されており、NHKで「音羽ゆりかご会」の川田正子が歌い終わると、スタジオ内が静まりかえり、「いい曲だった」「もう一度歌ってほしい」という電話が鳴りやまなかったといいます。

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「平和への想い」 あの日この歌 「湖畔の宿」③

 山の寂しい湖に ひとり来たのも 悲しい心 胸の痛みに 耐えかねて・・・ 昭和15年に発売され一斉を風靡した名曲「湖畔の宿」の一説です。作詞は佐藤惣之助、作曲服部良一、歌うのは歌手高峰三枝子。気品のある美しさで、当時大変な人気でした。

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「平和への想い」 あの日この歌「別れ船」②

 戦時中、軍部や当局からクレームや注文、あげくの果てには発売禁止となった歌謡曲が数多くあった。その理由は時代にそぐわないからというのがほとんどだったが、明日をも知れない兵下たちはかまわず、慰問団で来た歌手にリクエストした。。そして、歌手たちもそれに応えたという。今号は「別れ船」を追ってみた。

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「平和への想い」 あの日この歌「一本の鉛筆」①

 1974(昭和49)年、美空ひばりは弟哲也の起こした事件で歌う場所を失っていました。その時、ひばりにある音楽祭から声がかかります。広島平和音楽祭。それは原爆の投下された日に開かれた「平和への願い」を祈る式典でした。ひばりは、そこで「一本の鉛筆」というこの音楽祭のために作られた新曲を歌いました。

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李香蘭が逝った また満洲が遠くに!

 2014年9月7日に李香蘭が亡くなった。テレビが報じて、すぐ記憶に読みがえったのが、「何日君再来」をうたう彼女の姿だった。メモ代わりにPCに書き込み、ファイルしたのが、これ。満洲の花「迎春花(インチュウホワ)が添えられている。

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ひめゆりの娘たちの涙は怒りに

 日本で唯一の住民が地上戦に巻き込まれた沖縄戦。三カ月にわたった戦闘で多くの住民が死んでいった。なかでも、73年前の6月18日から19日にかけて、傷ついた多くの兵士たちの看護にあたっていた、あのひめゆり学徒隊の乙女たちが自決していったという。  その乙女たちが卒業式で歌った「別れの曲」(相思樹の歌)が胸に迫ります。    学舎の 赤きいらかも  別れなば 懐かしからむ  わが寮に 睦みし友よ  忘るるな 離れ住むとも  2007年原宿で開かれた「平和への思い」コンサートで披露され、聞き入る来場者の涙をさそいました。  6月23日は沖縄の日本軍の組織的抵抗が終わった日(慰霊の日)。生き残った齢、傘寿を超えたひめゆりの彼女たち。今年もまた「ひめゆりの塔」の前で涙ながらに歌うことでしょう。  今また、戦争の足音がひたひたと迫るなかで歌う調べは、哀感から強い怒りと二度と繰り返してはいけない思いでほとばしるでしょう。

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2011年 「音楽と講演の集い」 江東9条の会

 2011年に開いた「江東9条の会」主催の大イベント。6周年を記念した「音楽と講演のつどい」に伊藤千尋、佐藤真子さんを招いた。その時のお誘いのビラ。「9条の力」を語り、愛と平和」をうたうがキャッチフレーズだった。

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[資料] 雲ながるる果てに ③

 さまざまな想いがよみがえってきました。ちょうど60年前、昭和19年、フイリピンのネグロス島沖に神風特別攻撃隊の一員として突っ込んで行った当時20歳の愛唱歌のひとつが「別れのブルース」だったのです。(2008年2月20日制作)

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「人生のうた」 異国の丘

 私のおじは終戦後、満洲で生き別れとなった家族5人を残し、断腸の思いで、ひとり帰国した。来る日も来る日も家族の帰りを待ち続けた。(しんぶん「赤旗」日曜版ー4月22日付)      「異国の丘」に おじの無念思う                教師だったおじは、その願いを込めて授業の前に必ず「異国の丘」を大勢の児童と一緒に合唱した。  「今日も暮れ行く異国の丘に 友よ辛かろ切なかろ 我慢だ待ってろ嵐が過ぎりゃ 帰る日も来る春が来る」  小学生だった私も大きな声で歌った。しかし、おじの、家族と再会する願いはかなわず100歳で他界した。  3月25日の「赤旗」日曜日版で「名曲の散歩道の「異国の丘」を読み、この歌を生んだ増田幸治、吉田正両先生の悲運の人生を知った。そして、私も戦後、満洲からの苦しい引き揚げの体験を思い、あのような戦争を決して繰り返してはいけないと強く思った。(松田敬子 78歳 石川県) 【リンク】http://38300902.at.webry.info/201804/article_28.html

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「異国の丘」 名もなき捕虜が歌い継ぐ

 ソ連が日本に宣戦布告した1945年8月9日、関東軍上等兵吉田正は機関銃部隊長としてソ満国境にた。満足な武器もない断末魔の戦況の中、被弾した吉田は意識を失い捕虜としてシベリヤに抑留される。(しんぶん「赤旗」3月25日付ー日曜版)     あの日この歌 名曲の散歩道    丸山 繁雄   3年後の8月1日、NHKラジオ「素人のど自慢」で、中村耕造というやはりシベリアからの復員兵が「よみびとしらず俘虜の歌える」として誰も知らない歌を熱唱した。「今日も暮れゆく異国の丘に、友よ辛かろ切なかろ、我慢だ待ってろ嵐が過ぎりや、帰る日も来る春が来る」  敗戦からわずか3年、この歌はシベリアのみならず異国の各地に、まだ帰還しない家族や友人を持つ多くの日本人の胸を打ち、NHKは作曲者を探し始める。  3年間の強制労働を経た吉田が、ナホトカから舞鶴港に復員したのは番組放送の直後だった郷里の日立市に戻った吉田を待っていたのは、艦砲射撃で焼かれた実家と、生き埋めになった6人の家族だった。  失意の吉田の耳にラジオから、敗戦の2年前、中国戦線の陸軍病院のベッドで自ら作曲した歌が流れた。もともとは「大興安嶺突破演習の歌」として吉田が書いたメロディーに、ウラジオストック郊外アルチョム収容所に抑留されていた増田幸治が「俘虜の歌える」という詞を書き、捕虜たちの間で歌い継がれたものだった。シベリア抑留の日本人捕虜だけでもそのうち5万5千人が、「異国の丘」に帰らぬ人となった。

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五輪の開会式 イマジン歓迎

 しんぶん「赤旗」の「読者の広場」に、北海道・名寄市の山家忠志(65)さんが投稿しました。「オリンピックとイマジン」、なんともマッチしたテーマで思わず共感を覚えました。(2月18日付)  平昌五輪の開会式で歌われていた曲が、「イマジン」と分かり、「平和」というテーマにふさわしい選曲をしたものだと感心しました。トランプ米大統領に従い「対談のための対談に意味はない」と真っ向から対話を否定した安倍晋三首相の眼前での演奏でした。  「イマジン」はジョン・レノンの曲として世界中で親しまれてきましたが昨年、妻であるオノ・ヨーコとの共作であることが全米音楽出版協会から認定されました。日本にもゆかりのある曲であり、心から歓迎したいと思います。

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「平和の思い誓いあう」 うたごえ運動70周年

 日本のうたごえ運動の創立70周年を祝うレセプションが10日夜、東京都千代田区の主婦会館プラザエフで開かれました。200人が参加し、70年の歩みを振り返りつつ、平和への思いを誓いあいました。(「赤旗」2月12日付)  開幕演奏「あかつきの空に」の合唱に続き、田中嘉治日本のうたごえ全国協議会会長が開会あいさつ。原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の安井正和事務局長や九条の会事務局長の小森陽一東京大教授らが来賓のあいさつを行いました。  日本共産党の市田忠義副委員長は、うたごえが核兵器廃絶のたたかいの中で数々の歌を生み、運動の一翼を担ったことに敬意を表し、「憲法改悪や沖縄基地問題など、今こそ、うたごえの出番です」とあいさつしました。  歌手の普天間かおりさんは、沖縄のたたかいを全国に広げてほしいと訴えて「芭蕉布」を熱唱。作曲家の寺嶋陸也さんはチャイコフスキー「トロイカ」をピアノで演奏し、作曲者の池部晋一郎さんの指揮で混声合唱組曲「こわしてはいけない~無言館をうたう」から「だきしめよう」が披露されました。最後に参加者全員で「青い空は」を歌いました。  同協議会は、昼に安倍政権による9条改憲に反対する「3000万人署名」にとりくみました。

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春を呼ぶ 「みんなうたうかい」

 今年も「江東うたごえ交流会」主催による「みんなうたうかい」が行われます。なつかしい歌、くらしの歌、メッセージソングなどが会場をうるわし、参加者をなごますことでしょう。 ◆と き:2018年2月24日(土)       午後13:30~16:00 ◆ところ:江東区教育センター 大研修室       東陽町2-3-6       東西線、都バス、東陽町下車3分 ◆かいひ:500円 <連絡先>江東うたごえ交流会実行委員会        ☎ 3640-4846(佐々木)            5632-4048(青柳)

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兄特攻死 ㊥ 「ダンチョネ節」を歌おう

 今日は12月15日。子どものころから目をかけてくれ、可愛がってくれた五兄(利則)が、1944(昭和19)年、フイリピンで神風等別攻撃隊の一員として、20歳で死んだ日だ。あれから73年。身内はもう僕一人になった。供養する家族はもう他に誰もいなくなった。      遺影の前で「沖の鴎(かもめ)」をうたおう      だから、今晩は遺影に一輪の菊の花を手向けて、彼や特攻隊員が生前自らを「カモメ」になぞらえ好んで歌った「ダンチョネ節」をそっと歌おう。飲んではいけない酒も少し入れて・・・。ひと時も経たずに酔いが回ってくるので、「明日はお立ちか」を口ずさみながら眠りに入っていくはずだ。 【沖のかもめ】   この歌は戦時中、特攻隊員が出撃の前夜、送別の小宴で決まってうたった歌という。そろそろ酔いがまわりかかったころ、故郷の山や川をおふくろの涙を、そして彼女の眼差しを思い出し、眼をしばたたきながら半ば虚ろ気味でうたった「さよなら」の唄。  神奈川県三浦岬の民謡が元歌。替え歌として飛行気乗りの悲哀を歌詞しにした。特攻隊節として知られている。「ダンチョネ」とは『断腸の思い』を模したものとされている。  【神島利則】   兄・神島利則(かみしま・としのり)大正13年1月3日、旧満州・公主嶺生まれ。公主嶺小学校(28回生)卒業後、新京第一中学校を経て拓殖大学に進む。1943(昭和18)年9月、第13期海軍飛行予備学生として土浦海軍航空隊に入隊。  1944(昭和19)年10月、台湾…

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「12月8日」を 平和望む日に

 「太平洋戦争開戦の12月8日はまた、ジョン・レノンの命日としても歴史に残る日だ」との書き出しではじまる東京新聞の社説(昨年の12月8日付)が手元にあります。       東京都江東区  永井至正(73)   12月8日といえば、私も記憶があの日に呼び戻されます。64年前の早朝、ラジオから流れる臨時ニュースに耳を傾け、日本中が「ついにやったか」と胸を躍らせ、真珠湾の大戦果に酔いしれていました。  歴史書をひもとけば、この日はまた、破竹の勢いでモスクワ郊外にまで到達していたナチス・ドイツ軍がロシア人の血塗られた抵抗と冬将軍にあって、総退却を始めたと書いてあります。  歴史は皮肉なものです。世界の東西のファシストが同時に「終わりのはじめ」をスタートしていたのです。繰り返してはならない痛恨の20世紀の戦争史です。  25年前のちょうどこの日、ニューヨークの自宅前で凶弾にたおれたジョン・レノンが「戦争は終わる。もしもあなたが望むなら」とうたいました。「愛と平和」の歌です。  12月8日、「憲法が急ピッチで変えられようとしている今、この日を昭和ひとケタ以上の世代ならずとも、戦争を知らない子どもたちと「平和をのぞむ心」を共有し、歌い伝える日にしたいものです。(東京新聞2005年12月10日付「発言欄」)

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第25回 江東うたごえ交流会

 「歌あり、朗読あり、ダンスや楽器演奏もあります。みんんで楽しいひとときを、一緒に過ごしませんか?」がうたい文句のふれあいの会が今年も開かれます。もう25回目になるのでしょうか。会の世話人の一人、佐々木治代さんが呼びかけます。  主催は江東うたごえ交流会実行委員会。その世話役の佐々木治代さんは「合唱団この灯」に属し、「年金・江東」の8月号に投稿しています。      「歌にのせて 平和をつなぐ」   上野の森に「広島・長崎の火」が灯されているのをご存知ですか。原爆で叔父さんを殺された兵士が、アメリカに復讐するつもりで火をカイロに入れて持ち帰り、その後「ウラミをウラミでかえすなら、戦争はくり返されると心を改め、今では日本のみならず世界にも「非核平和を願う火」として灯されています。  私の所属する合唱団は毎年「この灯を永遠に」を歌い続けて27年。今年は8月6日、台東区で演奏。オープニングは小学生の民舞「ソーラン節」。司会は高校生。トークは原爆被災者、大学生、青年、そして戦後世代の晴山さんでした。こうした草の根の平和活動が、国連の核兵器禁止条約に結実したのだと思うと、とても嬉しいです。

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全国空襲連事務局長 牛山鈴子さん逝く

 全国空襲連と東京大空襲訴訟原告団の事務局長を務めた牛山鈴子さんが2月3日(2017年)にガンで亡くなりました。74歳でした。大空襲訴訟原告団の副団長を務めた清岡美知子さん(93歳)の逝去に続く悲しい出来事でした。通夜は2月10日。東京都荒川区内の斎場で行われ、関係者が参列しました。  「見届けられず心苦しい」                牛山れい子     歌が好きだった牛山さんを偲んで「合唱団この灯」の仲間たちが霊前を囲んである歌を披露しました。合唱したのは「花をおくろう」。荒木栄(1925~1962)が作曲した歌でした。荒木といえば、代表作「がんばろう」の作曲で知られ、労働者と平和ののための、労働者と平和のために闘った人。牛山さんの野辺送りにはふさわしい演出でした。  牛山さんはご自身について多くを語らない方でしたが、その生きてきた道を振り返ろうと思います。ご自身は空襲被害者でもその遺族でもありませんでしたが、戦争の理不尽さに対する怒りを心に秘めていました。敗戦を2歳で迎え、父の死の真相を知ったのは中学生の時、父は戦時下、東京帝大(現東大)を繰り上げ卒業、軍需品を輸送する輜重部隊に少尉として配属されましたが、部下が軍馬を誤って死なせ、その責任を取らされ自害しました。「天皇陛下の馬」が兵卒の命より優先される時代、牛山さんが戦争を憎む原点でした。東京大空襲訴訟原告団の母体となった東京大空襲犠牲者遺族会の事務局長を務めたのもそんな事情からでした。  全国空襲連の…

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歌手 佐藤真子さん アーカイブス

 歌手、佐藤真子さん関連のブログ一覧(2017年7月29日現在)。16年2月29日比でのデータ推移をみます。件数は324→325。総アクセス数は44306→46160で1854の増になっています。以下はベスト12です。 ◆件 数=330→331 ◆アクセス数=44306→46160 ◆気持玉数=764→782       <アクセス数 ベスト12> ①1599→2193 淡谷のり子さんと特攻隊 ② 780→ 832 佐藤真子と「満洲っ子」 ③ 724→ 731 映画「無言館」の完成間近 ④ 675→ 684 佐藤真子と「無言館」の詞 ⑤ 496→ 678 5月21日は「らいてう忌」 ⑥ 467→ 486 CD「らいてうを歌う」歌詞 ⑦ 451→ 482 夏 「禁じられた遊び」歌う ⑧ 407→ 437 「別れのブルース」と特攻隊 ⑨ 399→ 405 佐藤真子「無言館」歌う ⑩ 351→ 399 佐藤真子さんと戸梶江史子さん ⑪ 377→ 383 佐藤真子さんのリサイタル ⑫ 380→ 382 20歳になった高齢者集会  【注】アクセス数は2016年2月~17年7月) 【リンク】 http://www.nagai-yoshi.jp/sato_masako.html http://38300902.at.webry.info/theme/05fad21aee.html

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ともしび 出前歌声喫茶のお知らせ

 昔なつかしいあの歌、この歌、生伴奏にあわせてみんなでたのしく歌いませんか? 初めての方、お一人の方も大歓迎ですです。-東京新宿の歌声喫茶「ともしび」から出前歌声喫茶のお誘いです。近くは両国で開かれるようです。 ◆日 時:7月21日(金) 午後2~4時 ◆場 所:両国 江戸東京博物館 会議室   JR総武線「両国」駅西口下車徒歩3分 ◆墨田区横網1-4-1 ●主催/歌声喫茶ともしび墨田友の会 <お問い合わせ>03-6907-3801 【最近のリクエスト曲】

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「沖縄思う東京の一票」 今日都議選告示 

 今日6月23日は太平洋戦争の末期の沖縄での地上戦で犠牲となった人たちを追悼する「慰霊の日」だ。と同時に今年はこれからの日本の行く末を見通す東京都議選の告示日。思い出すのは東京で抗い、札幌に居を移し、60年の間「沖縄」を詩(うた)い続けて一昨年逝った詩人・永井和子。存命だったら今何を思うのか。  おきなわはみどりふかき島じま  赤いディゴの花が咲けば  月も酔い むせぶむせぶ  島びとのつきぬ悲しみ思うように  あなたの小指ひとつでも  傷つき 痛み 病むときは  だれが助けずにいるものか  知らずにすぎたそのつき日  わたしの心のこの悔み  わたしの小指ひとつでも  傷つき 痛むみ 病むときは  だれが呻かず忍ぼうか  今こそ知ったその痛み  わたしの心のこのこの怒り  もみくちゃにされ  くずかごにほうりこまれば  ただの 一枚の紙くず    しかし あなたの目をひけば  心を打てば  素晴らしい変革の武器  ビラよ  私たちの花よ  深川の町を  真実の声で埋めつくせ  【注】下写真は永井和子さんが1957年から28年間住んだ江東区白河の清州寮。 

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戦争の足音迫るなか 今年も歌う「ひめゆり」の前

 日本で唯一の住民が地上戦に巻き込まれた沖縄戦。三ヵ月にわたった戦闘で多くの住民が死んで行った。なかでも6月18日~19日にかけて多くの兵士たちの看護にあたっていた、あのひめゆり学徒隊の乙女たちが自決していったという。  その学徒たちが卒業式で歌った「別れの曲」(相思樹の歌)が胸にしみこみます。    学舎の 赤きいらかも  別れなば 懐かしからも  わが寮に 睦みし友よ  忘るるな 離れ住むとも  2007年原宿で開かれた『平和への想い』コンサートで披露され、聞き入る来場者の涙を誘いました。6月23日は沖縄日本軍の組織的抵抗が終わった日。生き残った齢、傘寿を超えたひめゆりの彼女たち。今年もまた『ひめゆりの塔』の前で涙ながらに歌うことでしょう。  今、また戦争の足音がひたひたと迫るなかで歌う調べは、哀感から強い怒りと二度と繰り返してはいけない思いで満ちあふれることでしょう。

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友あり 江戸川から 「郵パック」 来る

 IT通信が最盛期。だが、僕ら昭和一桁世代のものにとっては、「便りのないのがいい便り」が日常茶飯事の通信事情。昨日、ここ数年来疎遠だった日中友好協会江戸川支部の平沢知恵子さんから郵パックが届き思わず感喜。  開いて目に飛び込んできたのが「星火方正」(せいかほうまさ)という小冊子。それに添えて便りが・・・。  前略 ご無沙汰しております。お変わりございませんか。ブログ”満洲っ子”を見させていただいてます。この頃、満洲が語り部がようやく語って下さるようになりましたがあまりにも遅すぎていると感じとれます。  日中友好の御徒町にあるNPOの”中国帰国者・日中友好の会”では、6月22日~28日の予定でハルビン・北京に100名で訪問します。私はサポーターで出かけます。  方正県(中国・東北部)の墓参、北京大学での交流会などでNPOの楽団とともに演奏会に出ます。初めての参加なので、見学して来たいと思っております。TVでもニュースが流れるかもしれません。帰国しうたら又、報告します。平沢知恵子) 【注】写真は中国雲南省の古樂器「ひょうたん笛」を奏でる名手・平沢千恵子さん。下は「方正友好交流の会」の会報21号。70頁に及ぶ大冊。旧満洲東北部の方正県にまつわる人々、事柄を日中友好の観点から編集されている会報。本ブログではその内容を順次取り上げていきます。  【星火方正・目次】 ◆徐士蘭さんのウソと真実  -孤児には重すぎる二つの十字架 ◆難民を呑みこんだ河ー方正への逃避行 ◆私にとっ…

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淡谷のり子の涙 心揺さぶられた

 しんぶん「赤旗」のテレビ欄に「みんなのアンテナ」というコーナーがある。テレビを見ての感想を投稿する読者のページだ。昨日(2月5日)を見て思わず釘付け、表記の見出しで、淡谷のり子さんの歌と人柄についての記述が僕に迫る。     松尾 隆司(69)   大津市    BS朝日8日「昭和偉人伝 淡谷のり子」。戦争末期、淡谷が軍の慰問で歌いだしたときに特攻の出撃命令が下り、次々と若い兵士が敬礼をして退席していきます。舞台では泣かない彼女が、生涯で一度だけ泣くのです。  このごろ涙の出なくなった私の目から涙が流れました。それからは彼女の歌う姿と声が全く違って見え、聴こえてきました。心を揺さぶられました。    頑固者ほほ笑む 温かみある歌声             佐々 章(88) 三重・伊勢市    「昭和偉人伝 淡谷のり子」。私の父は明治生まれの頑固おやじ。ラジオの歌番組に「やかましい」と怒鳴るのに、淡谷のり子の歌となると、ほほ笑みながら聴いていました。  その訳は、父は青森市で医院を開業し、商家だった淡谷家にも往診に行ったとのこと。のり子の歌声には温かみがあるとよく言っていました。父なき後も、彼女の歌は逃さないようにしています。 【淡谷のり子と特攻隊】  http://38300902.at.webry.info/201701/article_23.html

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