今年(2018年)の「公主嶺会」は10月12日

 満洲・「公主嶺会」の事務局長・土屋洸子さんからメールを頂いた。「猛暑が続きますが、お元気ですか。今年の『公主嶺会』は、10月12日(金)、18:00から上野の『水車』で開かれる予定で、8月中に案内状を発送いたします」。  なお、土屋洸子さんは、8月19日(日)14:00から約60分、新宿の平和祈念展示資料館・ビデオシアターで、「満州公主嶺 私の故郷」と題して語ります。 ■平和祈念展示資料館 新宿住友ビル33階   03-5323-8709

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満州・公主嶺小学校 37回生の皆様へ

 「先日5月19日(土)12時~15時、東京・上野ターミナルホテル地階『水車』で開かれた37回生の39回目の同期会にご参加くださいまして、ありがとうございます」。幹事の栗林重夫、土屋洸子さんからの写真添付のお便りです。  昨年5月に差し上げたお便りに、「孫の世代から、祖父母が生きたころのことを知りたい、との問い合わせがあったことは、私たちがもう少し生きている価値があるのかな、と思いました」と書きましたが、今年のクラス会には、孫世代に当たる『満州の記憶』研究会の若い方々が参加されて、本当に嬉しく思いました。  来年もお目にかかれますように、ご健康には十分に留意されて、お過ごしください。 【写真】後列左から 甲賀真広、大石 茜、栗林重夫、永井至正、大塚文昭、管野智博 前列左から小林千栄子、山田和行、土屋洸子さん。 【大石 茜さんからのメッセージ】  公主嶺小学校同窓会事務局長である土屋さんにご招待いただき、37回生同期会に参加させていただきました。  公主嶺小学校の37回生は、昭和7年・8年生まれの方々で中学校、女学校1年生(旧制)のときに終戦を迎えられました。同じ年に同じ小学校に通った皆さまが、実に多様な満州の思い出をもち、様々な場所で終戦を迎え、異なる経緯で引き揚げを経験されていることに驚きました。  大切な同期会に参加させていただき、また惜しみなく経験をお話しくださり、感謝申し上げます。10月の「公主嶺会」でまた皆さまにお会いできるのを楽しみにしております。本日はどうも…

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旧満洲・公主嶺小同窓会が若者と交流

 昨日(19日)旧満州・公主嶺小37回生(85~86歳)の同期会が開かれました。特筆したいのはこの会に「満州の記憶」研究会のメンバー・若者が3人取材に見えたことです。話しが進むなか、戦後の満州での悲痛な話に顔をくもらせ、また、ときに爆笑も起きて延々3時間余、見事な交流の場の端緒になりました。以下詳細は後日にゆずるとして、先ずは写真で速報します。 ▼記念写真ー(敬称略、赤字は研究会の方々)  後列左から 甲賀真弘、大石 茜、栗林重夫、大塚文昭、管野智博 前列 小林千栄子、山田和行、土屋洸子  ▼左から土屋洸子、大石 茜、小林千栄子 ▼左から大塚文昭、管野智博、甲賀真弘

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「謝罪と鎮魂の旅」 則次美弥子

 「中国の旅から帰ってきました、元気です。南京で日本兵が無差別に一般市民まで殺したことを、私は許せないのです」。公主嶺小学校では2級上、岡山の則次美弥子さんから『中国南京を訪ねて』が送られてきました。        謝罪と鎮魂の旅     則次美弥子   博物館で私たちを待ち受けた関係者は「友、遠方より来る」とやさしく迎えてくれた。さすがにーまた、楽しからずやーとは言わない。  まず、献花をし黙とうをささげる。この時をどんな想いで南京(ここ)まで来たことか。心から冥福を祈る。  日本軍の士官たちは、どんな教育を受けたのかを問う。捕虜の扱いにしても国際法に反するのではないか。日本の一兵卒からみれば、上官の命令とあれば、それに従うしかないものを。昭和の遺言「十五年戦争」(兵士が語った戦争の真実=文芸社)の中に軽機関銃係として南京攻略に参加した大田俊夫(仮名)は次のように語っている。  中隊長が強盗、強姦、放火、、殺人何でもやれと言った。女の子を引っ張り出したわ。命令やさかいにな。(中略)13日(1937年12月13日)に揚子江の河べりで、小銃隊が撃つと軽機銃も撃つ。誰かが「次」と言うたら、また人を並べて撃ち殺すんや。あの時はのう、戦友の敵討ちやという思いやったな。気がたっていて女の人も子どもも殺す。(中略)南京大虐殺はあったんやから、わしらが揚子江の河べりで何万という支那人を撃ち殺したんからな。   日本兵のこの言葉の裏に殺戮した苦悩がうかがえる。国土の至る所でやったであ…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑮

 3月にNHK・TVドラマ「どこにもない国」の放映を知らせるハガキ150枚を出して以来、その反響がまだ続いている。日頃は、満洲の話など誰も聞いてくれない、満洲の話をしたくないと口を閉ざしている人から、昨日手紙が届いた。(土屋洸子さんから)  溝口庚子(みちこ)さんは、公主嶺小学校41回生。福岡市在住。新聞の切抜きが同封されていたので、電話を掛けたところ、約1時間も話し込み、手紙の内容とは大違いだった。   溝口さんの手紙、(  )内は電話    お手紙、ありがとうございました。(土屋さんからの葉書の)お知らせがなければ、絶対に(TVのドラマを)見ていません。私は、満州の話が嫌いで、本も読みませんし、テレビもみません。(ツアーで長春や笵家屯に行った時、笵家屯が『大地の子』で有名なところといわれたけれど、自分は本を読んでいなかったので知らなかった)。  でも、お手紙をいただいたので、(テレビを)見ました。見て、良かったです。今日、こちらの西日本新聞に投書がありましたので、切り取って送ります。「満州」という言葉が目に入ったので、新聞を切り抜きました。(5月11日付) いつもお世話様で有難うございます。 【注】「大地の子」-山崎豊子原作、NHKテレビドラマ

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日清・日露戦争と満洲事変の地を歩く

 新宿の「富士国際旅行社」から旅の案内をいただいた。数々の「お知らせ」版の中で、表記のカコミに目がとまった。中国東北部への近代史勉強ツアーだ。ついでにお許しを得て、単独で生まれ育った公主嶺に行ければいいが・・・。      中国東北の旅 旅行期間:8月10日(金)~15日(水) ry工代金:¥220.000 ◇東アジアの視点から日清・日露戦争地(旅順)を訪ね「明治150年」の光と影を学びます。 ◇満州事変地(瀋陽・撫j順・長春)を巡り、日本じゃなぜ侵略戦争を進めたのかお考えます。 ◇中国人高校生と交流します! 本場の中華料理も楽しめます。 「【注】明治150年、「暦教協」が企画しただけに期待大です。

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑭ー3

 父は、1852(昭和27)年10月3日に結核で、臨月の母と子ども6人を残して、46歳で亡くなりました。それから2カ月後、突然日本から船が迎えにくる、と知らされました。母は、父の故郷が樺太だったので、日本に帰っても行くところがありませんでした。(山田典子さん)  どうするか心配していましたが、私たち子どもは「皆で乞食をしても帰りたい」と言い張り、28年の春に、父の墓の土まんじゅうを開けて、髪の毛と爪を持ち帰りました。  1953(昭和28)年5月に伊通を出発し、吉林、奉天(現瀋陽)などに寄り、秦皇島に到着しました。なかなか船が来ないので、私が(19歳になっていた)臨時の先生になって、小さい人を教えました。7月に秦皇島から高砂丸で舞鶴港に引き揚げ、東京の引揚者住宅に入れていただきました。  (中略)私たちの前にご苦労された方たちが、どのように帰国されたか知りませんでした。ドラマを拝見して、丸山邦雄さまたちの奮闘を感謝いたします。  生まれたばかりの妹を置いてこなかったことも、一番の幸せだと思っています。職もなく大変でしたが、なんとか頑張りました。弟は亡くなりましたが、5人の妹は健在です。  子どもや孫たちが、いつまでも平和な国に住めることを、心から念じております。

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑭ー2

 (中略)1945(昭和20)年8月15日以後、日本人は「日本人小学校で自決する」と決めましたが、母親たちが「子どもを連れて日本に帰る」と反対して、馬車を雇って、公主嶺へ行きました。残ったのは、副県長、協和会の方、日本人会会長等々7軒ほどで、召集された兵隊さんが帰ったときに備えてでした。(山田典子)  父は、日本人会会長でしたので、伊通に残りました。  8月29日夕方、暴動が起きた時、わが家のみ助かりました。私たち子ども(弟、4人の妹)や祖母、母、いとこのお嫁さんは、中国人の家にかくまってもらいました。翌朝、大広場に連れていかれて、もうだめかと思いましたが、中国人が「大宮先生は、中国人も日本人と同じに病気を見てくれたから、殺さないで」と言って下さいました。それで、生後3日の妹も、警察の牢獄に夕方まで入れられましたが、助かりました。診察室も、住居も、全部掠奪されていました。父は、中国人のボーイさんの家に逃げて、翌日戻ってきました。この日から日本に帰るまで、伊通の日本人は、わが家1軒のみでした。  私は、伊通の中学校、長春の高校(寄宿舎に入寮)に入り、勉強しました。1950(昭和25)年に朝鮮戦争が始まり、高校の同級生も志願して戦争に行きました。高校の1500名ほどの生徒の中で、日本人は一人でしたので、よくクラスに「どの人?」と見にきたものでした。

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑬

 NHK・TVドラマ「どこにもない国」を見て、押野礼子さん(39回生、旧姓若林)が感想を寄せてくれました。押野さんは、1941(昭和16)年5月(1年生1学期)から44年6月(4年生1学期)まで、公主嶺い住んでいた。公主嶺を離れたのは、父上に沖縄への出動命令が出たためで、病弱の母は、、3人の子どもを抱えて満洲に残れない、との判断だったらしい。 ▼ポール・マルヤマさん(毎日新聞から)       頭が下がる 凄まじい努力    先ず、丸山邦雄氏、新甫八朗氏、武蔵正道氏の3人の、在満残留日本人の救助に対する、全身全霊を打ち込んだ凄まじい努力に、頭が下がりました。日本政府高官は、彼ら3人に「国内は食糧不足、輸送用の船が不足している」との理由で「現地に留まって、これまでの生活を続けるように」と領事館に伝えたと言い、そして「3人の話を聞いて、、初めて現状を知った」との発言に、自分たちは「まぼろしの国」に生活していたのかと激怒しまいた。映像を見ていても、怒り心頭です。  丸山氏たちの働きがなかったら、150万人は難民扱いでしょうか。GHQ、マッカーサー元帥への在満同胞の救助を訴える熱意に、圧倒されました。丸山さんを演じた内野聖陽さんの、英語スピーチの熱演は、素晴らしかったです。  150万人もの日本人を救った丸山邦雄氏ら3人を、私たち日本国民は、誇りに思い、感謝いたします。 【注】なお、押野さんから「毎日新聞の4月27日付夕刊」の切り抜き(一面全面特集)を送っていただきました。以下冒頭部…

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ほどなく 公主嶺小学校 37回生同期会 

 若葉の緑もすがすがしい頃となりました。公主嶺小学校37回生(昭和7、8年生まれ)の皆さまにはお元気でお過ごしのことと存じます。去る3月に、ご案内をお送りしてから、今日までに皆さまからのご返事が次々に届きました。ご出席者は、次の6名です。大塚文昭、永井至正、栗林重夫、田口恵敏、小林千栄子、土屋洸子(敬称略)。 ◆日時:2018年5月19日(土)       PM12時~15時 ◆場所:東京・上野ターミナルホテル      地階「水車」(椅子席です)      電話:03-3831-1110 ◆会費:3000円(予定)  なお、昨年10月に開かれた「公主嶺会」に、「満洲の記憶」研究会に所属する方々が出席され、現在土屋洸子さんが取材を受けております。その折に、37回生同期会のことを話したところ、是非出席させてほしいとのことで、次の3名の方が参加されます。満洲のことをいろいろ伺うと思いますので、よろしくお願いいたします。 【注】「満洲の記憶」研究会:一橋大学社会学研究科 佐藤仁史研究室、大学院生を中心に2013年7月30日に発足した。 ■大石 茜(おおいし・あかね) つくば大学大学院 人文社会学研究科 博士後期課程、現代語・現代文化専攻 現在、公主嶺の幼稚園について調査中。 ■管野智博(かんの・ともひろ) 一橋大学大学院 社会学研究科 博士後期課程、慶應義塾大学総合政策学部 非常勤講師。13歳の時に中国・長春から日本へ。 ■甲賀真広(こうが・まさひろ 首都大学東京…

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NHKドラマ 「どこにもない国」にまつわる話 ②

 「満州 奇跡の脱出」(ポール・邦明・丸山著)がNHKで映画化、放映されることを知った、満州・公主嶺会事務局長の土屋洸子さん。すぐさま著者丸山氏にメッセージを送りました。丸山氏はアメリカ。コロラド州に在住。  ポール 邦明 丸山様    平成30年3月14日     暑さ寒さも彼岸までと申します。東京の桜の開花予想は3月22日と発表されました。その後お元気にお過ごしのことと存じます。  2014(平成26)年8月にお手紙をいただいたまま、ご無沙汰を重ねておりましたことをお許しをくださいませ。  この年の10月20日に開かれた「公主嶺会」で、御著『満洲 奇跡の脱出』を参加者に紹介し、公主嶺小学校同窓会が編集・発行した『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(略称:記念誌:学校創立80周年記念に発行したため)の第10章 P488に「日本人がコロ島から引き揚げられた事情」を記述したことや、貴方様からお手紙をいただいたことなどを報告しました。   この日の公主嶺会の参加者40名は、1945(昭和20)年8月当時、すでに日本にいたもの(戦役についていたので)、朝鮮半島の38度線の南側にいたもの、北側にいたもの、公主嶺に残っていたものなど様々で、「1946年7月21・22日に公主嶺から約5000人が出発し、コロ島から船に乗って日本に到着した」ものは10名ほどでした。  しかし、ほとんどの人が記念誌を持っているので、「帰宅したら読んでみる」などの感想をいただきました。また、同年11月24日の…

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NHKドラマ 「どこにもない国」にまつわる話 ①

 「つい数日前の10日に、友人からの電話が鳴った。原作『満洲 奇跡の脱出』(ポール邦明・丸山著)が、『どこにもない国』としてNHKで放映される、という内容だった」,と、満洲・公主嶺会の事務局長・土屋洸子さんからの手紙。彼女は「満洲からの引き揚げ秘話がドラマになる。多くの人に知ってほしいとの願いが実現する、と思うと心から嬉しさがこみ上げてくる」と続ける。       NHK・TVドラマ「どこにもない国」  と き:3月24日(土) 午後9:00~     前編 「命をかけた満洲からの脱出」     :3月31日(土) 午後9:00~     後編 「引き揚げは実現するか               150万同胞祖国へ」  ■原 作:「満洲 奇跡の脱出」 ポール・邦明・丸山著、高作自子訳、柏艪舎出版、2011(平成23)年12月31日発行    「満洲 奇跡の脱出」と私(公主嶺)   私は、1987(昭和62)年11月に発行した『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(公主嶺小学校創立80周年を記念して編集発行したため、略称を『記念誌』という)の第9章と第10章を執筆したとき、第10章P487~488に「10-10 公主嶺からの引き揚げ」として、、引き揚げの事情を書いた。  1946(昭和21)年春ごろ、大連はソ連軍、共産軍の管轄下にあって、日本人の引き揚げが難しく、コロ島から引き揚げることになったが、「コロ島」は誰も知らない港だった。丸山邦雄さんたちが東京の…

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「あのころ」 伊藤 聖さん語る 満州・公主嶺⑨

 夜汽車というと、なによりもまず、鐘のひびきを思いうかべるのは、大陸育ちの共通の体験だろう。渺茫とした広野の果てに、遠く尾をひいて夜汽車の鐘が消えていくと、わけもなく、郷愁に誘われたものだった。       夜 汽 車 の 鐘 かねを鳴らして夜汽車が通る からんからんと、鳴らして通る かねはかれ山、かれ野にひびく 空の遠くの 月にもひびく 鳴って、鳴らして ずんずん通る       (満洲唱歌5年 「夜汽車」)  私たちが子どものころに聞いた汽車の鐘は、実はアメリカ大陸の横断鉄道からもたらされた。  日露戦争の後、満鉄が狭軌のゲージを再び広軌の1435mmに直したとき、アメリカやイギリス、ドイツから多くの機関車を輸入した。大正6(1917)年末に満鉄が所有していた機関車は270輌で、アメリカ210、イギリス47、ドイツ4、ほかに沙河口工場製9となっている。(「南満洲鉄道十年史」P228~P230)  これでもわかるように、あの土地のきびしい冬の気候に最も適していたのが、米大陸の機関車であった。お手本としたのも、アメリカ・ロコモティブ社の1D1テンダ(炭水車が一体となった機関車)であり、これがのちの「ミカイ」になった。鐘も、ヘッドライトも、何にもかもそっくり真似て、つけられたものであろう。  誠文堂新光社の「おもいでの南満洲鉄道」(1970年刊)には、たくさんの「ミカイ」「ミカロ」型機関車がのっている。これでみると、鐘がついていている位置もさまざまなのがわかる。…

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満洲・公主嶺小37回生 2018年同期会 

 今年も花の季節を迎える時期となりました。お元気にお過ごしのことと存じます。さて、下記のように「37回生の39回目の同期会」を開きますので、ご多用とは存じますが、皆さまのご参加をお待ち申し上げます。 *日 時:2018年5月19日(土)       12:00~15:00 *会 場:東京 上野ターミナルホテル       地階「水車」(椅子席です) *会 費:3000円(予定)          幹事:栗林重夫、土屋洸子 ■3月24日(土)と31日(土)午後9時からNHK・TVをご覧下さい。満洲にいた150万人の日本人の引き揚げを実現させた、3人の日本人を描いたドラマが放映されます。 【注】37回生は昭和7~8年生まれ。

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「あのころ」 伊藤 聖さん語る 満洲・公主嶺⑧

 山本勝郎さんの「中国再訪」の8ミリでは、公主嶺駅にさしかかった列車が、昔のままの古びた泰平橋をくぐるところが映っていて、なつかしかった。ただ、泰平橋から駅前の広場に降りるなだらかなスロープは、すっかり生長した木のかげになっています、よく気をつけてみないと分からないくらいだった。「変わらないでいて、やはり30年の歳月は、それなりのことがあるのだな」というのが、そのときの感じだった。  あのころ、このスロープのたもとには、いつも物売りのニイヤがたたずんでいた。季節によって、売るものもさまざまだったが、着ぶくれた防寒服の面袖に手をつつこんで、客を待っていた「タンホーロー」売りは、最も印象深い。赤いサンザシやナツメ実を五つ六つ串にして、それに飴をかけ、高粱のつとに差して売っていた。ガラス細工のように赤い飴がきらきらと光って、ひどく魅力的にみえた。だが、衛生的でないという理由で、一度も買ってもらえず、心残りだった。サンザシの甘ずっぱい味を想像しながら、いつも横目でにらんで通りすぎたものである。このタンホーロー売りは、10月ごろから春の蒙古風が吹きはじめるころまで、どんな寒い日でも、同じ場所を動かなった。  公主嶺の日本人町は鉄道を隔てて、北側の官公署とその官者、南側の商店街とに別れていた。したがって、南の人たちにとって、この橋は何よりもまず通学、通勤の路でもあった。しかし、北側の私たちにとっては、橋は何か楽しみな世界への通路であった。  徳永先生も「回想の満洲公主嶺」で「毎月1回の給料日…

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満洲・公主嶺からの引揚げ体験語る 土屋洸子

 来月2月14日から25日の間、新宿で「マンガでみる抑留。引揚げ」の特別展示会が開かれます。18日(日)には「特別イベント」として土屋洸子さんが満洲からの引き揚げ体験を語ることになりました。      「特別イベント」 語り部お話し会    平和祈念展示会で活動している語り部が自身の戦争体験について語ります。  ◆;土屋洸子さん(満洲・公主嶺からの引揚体験者)  ◆:2月18日(日)14:00~(約60分)  ◆:新宿区立新宿歴史博物館 2F講堂   <主催> 平和祈念展示資料館     <ミニプロフール>  昭和8(1933)年 鳥取県生まれ。昭和11年家族で満洲・公主嶺に移住。昭和20年8月ソ連参戦、集団避難生活を送る。昭和21年7月、妹と二人でコロ島から博多へ。

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年賀状 満州・公主嶺がよみがえる その3

 「賀春 本年もよろしくお願い申し上げます 平成30年 元旦」 岩手県二戸在住の(公主嶺小学校の同期生)田口恵敏君からの絵つき年賀です。同君は子どものころより「絵」をよくしていたことで知られていました。  添え書きに「昨年は東京新聞をいただき、永井さんの平和を希求する姿を二戸の政治家に紹介することが出来、良かったと思っています」と書いてあります。  彼は8月16日付東京新聞一面に僕の「ブログ」の紹介記事が掲載されていることを知って一早く、同新聞社に電話で直接申し込み、地元政界の方たちに配布したといいます。ありがたいことです。 【注】  左絵は「初秋の立待岬」函館(油彩)。北の国の優雅な風情が漂ってきます。

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年賀状 満洲・公主嶺がよみがえる その2

 「明けまして おめでとうございます。 平成30(2018)年元旦 今年もよろしくお願いします。」 「公主嶺会」事務局長の土屋洸子さんからの年賀状です。  昨年は「平和祈念展示資料館」(東京・新宿住友ビル)で、満洲(現中国東北部)公主嶺から引き揚げた体験を、これまで6回お話しいたしました。戦争体験者が零になる日に備えて、資料館では体験談の映像化をいそぎ、資料館のホームページで[ライブラリー、語り部のお話、引揚体験者]の順に検索すると、私の映像が流れます。私にとっては終活の一つとなりました。今年もより健康で過ごしたいと願っております。 【写真説明】昨年の「公主嶺会」で司会をつとめる土屋洸子さん。右は長崎の坪井泰助さん。 【土屋洸子】  http://38300902.at.webry.info/theme/86fb75d94c.html

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年賀状 満州・公主嶺がよみがえる その1

 「明けましておめでとうございます 新しい年が素晴らしい年でありますよう 心からお祈り申し上げます 2018年 元旦」 遠く、長崎県上五島の坪井哲也、久美ご夫妻から新春早々年賀状をいただいた。  お会いできて良かったです。お体に気をつけて、ブログの更新を続けてください。楽しみにしております。またお会いしたいです。哲哉  お世話になりました! 私もお会いしたいです。久美 【追記】旧満洲・公主嶺に祖父のルーツをたずねて、昨年1月から心情あふれるメールで交流を続けてきた孫の坪井哲哉ご夫妻。昨年10月東京上野で開かれた「公主嶺会」にお招きしたところ父の泰助さんとともに哲哉さん(久美さんは第2子誕生のため来られがなかった)が来京しました。。  昭和20年7月3日、公主嶺に生まれた泰助さんの切々としたお話が参加した会員の涙をさそいました。 【イラストと写真説明】上 長崎県上五島の目を見張るような海。子犬が見上げています。下 昨年10月27日、上野ターミナルホテルで開かれた「公主嶺会」。挨拶にたった坪井泰助、哲哉親子。左端は司会で事務局長の土屋洸子さん。 【坪井久美】  http://38300902.at.webry.info/theme/39a2308e6a.html

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兄特攻死 ㊥ 「ダンチョネ節」を歌おう

 今日は12月15日。子どものころから目をかけてくれ、可愛がってくれた五兄(利則)が、1944(昭和19)年、フイリピンで神風等別攻撃隊の一員として、20歳で死んだ日だ。あれから73年。身内はもう僕一人になった。供養する家族はもう他に誰もいなくなった。      遺影の前で「沖の鴎(かもめ)」をうたおう      だから、今晩は遺影に一輪の菊の花を手向けて、彼や特攻隊員が生前自らを「カモメ」になぞらえ好んで歌った「ダンチョネ節」をそっと歌おう。飲んではいけない酒も少し入れて・・・。ひと時も経たずに酔いが回ってくるので、「明日はお立ちか」を口ずさみながら眠りに入っていくはずだ。 【沖のかもめ】   この歌は戦時中、特攻隊員が出撃の前夜、送別の小宴で決まってうたった歌という。そろそろ酔いがまわりかかったころ、故郷の山や川をおふくろの涙を、そして彼女の眼差しを思い出し、眼をしばたたきながら半ば虚ろ気味でうたった「さよなら」の唄。  神奈川県三浦岬の民謡が元歌。替え歌として飛行気乗りの悲哀を歌詞しにした。特攻隊節として知られている。「ダンチョネ」とは『断腸の思い』を模したものとされている。  【神島利則】   兄・神島利則(かみしま・としのり)大正13年1月3日、旧満州・公主嶺生まれ。公主嶺小学校(28回生)卒業後、新京第一中学校を経て拓殖大学に進む。1943(昭和18)年9月、第13期海軍飛行予備学生として土浦海軍航空隊に入隊。  1944(昭和19)年10月、台湾…

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兄特攻死 ㊤ 「海ゆかば」は反戦歌

 「海ゆかば」という歌があった。戦争を体験した人なら誰もがこの歌を聞いて身を締め付けられるような不思議な感情に襲われ、歌って涙したものです。万葉の歌人大伴家持(おおとものやかもち)の詞に信時 潔(のぶとききよし)が曲をつけました。 太平洋戦争の末期、ラジオのニュース放送の冒頭にこの曲がながされると、いつも襟を正し、座り直したものです。それは悲しい知らせだったからです。アッツ島に始まったサイパン、テニアンなど玉砕(全滅)の報道でした。その対極にあったのは、「軍艦マーチ」「抜刀隊の歌」でした。大本営による初戦の大勝利の戦果発表はともかく、昭和19年いごはそのほとんどが虚報でしたが、、奏でられる威風堂々(当時の小国民は皆そう思った)の調べに欣喜雀躍して拳を突き上げていたものです。      今はもう反戦の歌に聞こえてしまう    戦後72年、あの時代を今に重ね合わせると複雑な思いにかられます。戦争を知らない世代が今、戦争を語り始めています。若い「知たり顔」の国会議員が、行け行けどんどん、のノリで北朝鮮、国際貢献を語り、憲法「改正」を語るに及んでは、「戦争を頭で考えたらいけない、体で感じないと、あの恐ろしさは分からない」の思いを強く持つのは私だけではないでしょう。再び繰り返してはならない「歌」それは「海ゆかば」です。 【追記】 ① 右写真は昭和18年12月21日、神宮外苑競技場で行われた「学徒出陣壮行会」。分列行進曲のあと、最期に会場いっぱいに合唱したのが「海ゆかば」と聞く。 …

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与謝野晶子 旧満州公主嶺をうたう

 与謝野晶子1878年12月7日、大阪、堺に生まれた歌人。夫、鉄幹とともに雑誌「明星」の中心となる。肉体と感情の解放を歌い上げた。日露戦争での「君死にたまふことなかれ」は反戦詩として今日まで歌い継がれている。      <旧満州・公主嶺で詠った6首>    晶子は昭和の初期、夫の鉄幹とともに満蒙を旅して、立ち寄ったここ、かしこで歌を詠んでいる。私、満州っ子の生まれ育った南満州の公主嶺でも、あの土地の風景を情感豊に描写している。昭和6年6月3日に詠った6首を。 ●夏雲が楡の大木のなす列にいとよく倣ふ公主嶺かな ●公主嶺豚舎に運ぶ水桶の柳絮に追はれ雲雀に突かる ●旅人が来てよる楡の木の下へゆるく寄りくる牧草の波 ●静かなり水ここにして分かるると云う高原の駅の昼すぎ ●まるき楡円き楡の枝tなる羊飼はるる牧場に立てば ●青白く楡銭乾けりおと葉より用なげなれどなまめしけれ 【注】4首の高原の駅の意味は、公主嶺が南満州の大平原での分水嶺だったから。大連から600数十キロ離れていたにもかかわらず。海抜203メートル。いかにあの満洲が広大な沃野だったかよく分かる。

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歴史にみる12月 人々の生と死

 今年も最期の月、12月。古くは師走(師も走る気ぜわしい月)。英語はディセンバー。花は何でしょう。決して忘れられないのは12月8日。多くの若者を死に追いやった太平洋戦争。さて公主嶺小同期生の田口恵敏提供のカレンダーにそって古今東西の「生と死「を追ってみよう。 ■7日 与謝野晶子(1878~1942) この日生まれた歌人。夫、鉄幹とともに「明星」の中心となり、肉体と感情の解放をうたいあげた。代表作『みだれ髪』。また」「君しにたまふことなかれ」は反戦詩として有名。 ■13日 ハイネ(1797~1856) この日ドイツのデュセルドルフに生まれた。甘美な恋愛詩にすぐれると同時に、また人類の進歩と祖国愛にもえる革命的詩人だった。 ■16日 サンタヤナ(1863~1952) この日生まれたアメリカの詩人的哲学者。文学者としても有名だった。神秘主義的な清教徒的良心によって国民的人気をもつ。 ■19日 蘇東坡(1036~1101) この日四川省眉山に生まれる。宗代の文豪。あけっぱなしの放胆さ。しかも志を曲げぬ強靭さがある。作品の幅は広く、かつ爽快。 ■24日 与謝蕪村(1716~1783) この日京都に死んだ天明期の俳壇の代表者。摂津毛馬村に生まれ、各地を放浪した。文人画家としても有名。『蕪村七部集』がある。 ■25日 キリスト(B.C4頃ーA.D29頃)この日ユダヤのベツレヘムに生まれる。30歳頃から福音を説き、3年後十字架にかかったが、復活したとされる。キリスト教の始祖。 ■26…

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戦後72年 旧満州「公主嶺会」 まとめ

 さる10月27日(金)、上野ターミナルホテルで開かれた旧満州の「公主嶺会」。戦後72年というのに40名の参加者が全国から集い、新参加者も5名が加わるなど大盛会でした。本ブログではこれまで11回に渡って発信してきましたが、ここで「まとめ」のページを組みました。 ◆ページ数=12 ◆写真数=37枚 ◆総アクセス数=894 ◆ナイス印=71 ・11・29  18  5 戦後72年 「公主嶺会」 まとめ ・11・16  58  3 戦後72年 「公主嶺会」に行った 終 ・11・15  60  4          〃           ⑦ ・11・ 8 114  7          〃           ⑥  ・11・ 7  81  6          〃           ⑤ ・11・ 5  88  8          〃           ④ ・11・ 2 100 13          〃           ③ ・10・30  95 10          〃           ② ・10・28 126 12          〃           ① ・10・19  69  5 いよいよ 2017年度 公主嶺会」 ・10・14  32  1 「同窓会 県人会」 「公主嶺会」 ・ 9・ 4  53  2 2017年度 「公主嶺会」のご案内  【注】数字は左から・日付・アクセス数・ナイス印・題名。(2017年11月30日) …

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戦後72年 「公主嶺会」に行った 終

 落葉が風に舞う頃となりましたが、その後お変わりなくお過ごしのこととお慶び申しあげます。先日の、2017年度公主嶺会(10月27日、上野ターミナルホテル「水車」)に、ご参加くださいまして、ありがとうございます。(土屋洸子さんからのお便り)  北は宮城県、南は長崎県から40名が集まって、さまざまな人生を語り合いました。  祝電をいただいた山田 昭さん(32回生)は、『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(略称:『記念誌』、写真集『満洲公主嶺 その過去と現在』、ビデオ『満洲公主嶺 100年の変貌』の三部作の学年委員として、公主嶺小学校同窓会でお世話になった方で、公主嶺会にも参加されたことがありました。    当日の係は次の方々です。(敬称略)司会進行は宮崎 迪(39回生)、受付は渡辺令子(39回生)、星 憲子(40回生)、会場準備は狩野満子(40回生)、遠藤教子(38回生)、写真は風野基子(46回生)。ご協力に感謝申し上げます。事務連絡及び会計は、土屋が担当しております。  公主嶺会の懇親会会場と宿泊については、これまでと同様に、故 井本稔さん(39回生)のご遺志を受け継ぎ、井本理恵 社長(長女)、知子 稔氏夫人(女将)、美穂 副社長(次女)、染谷紘一 水車支配人、田村 優 公主嶺会担当をはじめ、同ホテルの皆様のご配慮をいただきましたことに、お礼申し上げます。(敬称略で失礼いたします)  来年も、皆様にお目にかかれることを、楽しみにしております。年末年始を、ご自愛の上、お過…

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戦後72年 「公主嶺会」に行った ⑦

 10月27日に開かれた「公主嶺会」。参加者40人全員の写真が事務局(土屋洸子事務局長)から送られてきました。全員を6ブロックに分けています。なお、かっこ内の数字は、公主嶺小学校卒業年度期。(敬称は略) ●左から 田切恒夫(31回生) 坪井泰助(長崎県から 初参加) 細谷和子(31) 坪井哲哉(長崎県から 初参加) 則次美弥子(35) 中島守敏(42) 永井至正(37) 小林千栄子(37) 大石 茜(「満洲の記憶」研究会) 栗林重夫(37) 土屋洸子(37) 稲垣玲子(37) 湯川真樹木江(「満州の記憶」研究会) 長浜自明(37) 大塚文昭(37) 村越愛策(36) 戸井義衛(33) 田中 勇(33) 山崎重子(38) 遠藤教子(38) 金井マサ子(38) 本道博良(38) 岩間千恵子(38) 石倉 久(38) 大塚和徳(39) 長沢寿美枝(39) 小原 明(39) 渡辺令子(39) 天笠幸雄(39) 宮崎 迪(39) 笹川冨美子(40) 狩野満子(40) 星 憲子(40) 荒川明夫(40) 浅野兼迪(40) 長沢寿美枝(39) 天満秀寿(41) 荒川明夫(40) 木下吉子(41) 狩野満子(40) 小野美恵子(42) 笹川冨美子(40) 星 憲子(40) 安倍孝雄(42) 風野甚子(45)

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「公主嶺を語る」 新宿で土屋洸子さん

 戦後72年、戦争体験者に話を聞く機会が年々減少している中、新宿の平和祈念資料館は、先の大戦が残した悲劇を後世に伝えるための語り部「お話し会」を開催しています。  「戦争を生きぬいた18人の語り部展」・・・その中の一人として、旧満洲「公主嶺」から引き揚げた体験を土屋洸子さんが語ります。 ◆と き:2017年12月3日(日)       14:00~ 約60分 ◆ところ;新宿 平和祈念資料館       新宿住友ビル8階       ☎03-5323-8709 【土屋洸子関連ブログ】500ページを超えました。 http://38300902.at.webry.info/theme/86fb75d94c.html

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戦後72年 「公主嶺会」に行った ⑥

 27日(金)、上野ターミナルホテルで40人が集って開かれた旧満州の「公主嶺会」。諸事情により参加出来なかった山田 昭さん(32回生)から祝電が、また高知県にお住まいのAさん(メールで交流のある)からはお手紙が、土屋洸子事務局長宛てに寄せられました。   土屋洸子さま       2017/10/22  すっかりご無沙汰しています。台風は大丈夫でしたか?  今年も公主嶺会のお知らせを送っていただき、ありがとうございました。残念ながら今年も参加は難しく歯痒い思いをしていたところに、参加者用の資料を送っていただき、おかげで参加している気分を味わえています。  今でも永井さんのブログを訪れ、皆様の活動の様子などを垣間見てとても感心しています。そして、ブログが東京新聞1面に掲載されたという事、感動しました。もちろん内容にもですが、それとともに公主嶺会のことを広く知ってもらえる、そして私のように「知りたい」と思っている人にとっても、とてもいい記事になったと思います。  長崎の坪井さんの事はブログで読んだ時から、数年前の自分ととても重なりました。私の時のように、「必ず土屋さんたちが調べてくれるはず」と、ブログを読みながら思っていたら見事に色々分かったようで、改めて公主嶺会の繋がりの凄さや、土屋さんの資料の貴重さを思い知りました!  今回、坪井さん親子が会に参加されるということ、本当におめでとうございます! 私は坪井さん目線ですが、坪井さんが皆さんに実際に会い、さらに感動するであろう…

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戦後72年 「公主嶺会」に行った ⑤

 10月27日(金)、上野で旧満洲「公主嶺会」が開かれた。特筆したいのは参加者40人のうち二人の若い女性の姿がみられたこと。大石茜さんと湯川真樹江さん。「満洲の記憶」研究会の会員で、取材に来られたという。彼女たちはその夜、早くも「会」のブログに、この日の模様をアップした。 ▼大石茜さん(左)と湯川真樹江さん  本日、上野にて公主嶺会懇親会が開催され、出席させていただきました。参加者は40名。昭和元年生まれの方から、昭和20年7月生まれの方(生後100日で引き揚げ)まで、様々なかたちで公主嶺にルーツを持つ方々の集いでした。  歴史の長い公主嶺会ですが、永井さまのブログ「満洲っ子 平和をうたう」や、今年8月に永井さまが東京新聞で紹介されたことをきっかけに公主嶺会を知り、はじめて出席された方もいらっしゃいました。  会場である上野ターミナルホテルは創設者の故井本稔さまが公主嶺ゆかりの方です。皆さま井本さまを偲ばれながら、思い出話に花を咲かせていました。  公主嶺での経験を丁寧にご説明いただいたり、ご著書や資料をいただいたり、また、今後写真を提供してくださると声をかけてくださったりと、たくさんの方にご協力いただきました。みなさまのご好意に改めて感謝申し上げます。(作成 2017年10月27日 文責:大石茜) 【注】「満洲の記憶」研究会   「満洲の記憶」研究会は2013年7月30日に大学院生を中心に立ち上げた研究会です。  私たちは主に、満洲に関係する様々な「記憶」を収集し…

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戦後72年 「公主嶺会」に行った ④

 ブログなどネットで発信すると、送信者と読み手の間で見知らぬ人同士の新しく、思わぬ交流が生まれる。それがやがて出会いに発展することも。これはその典型、27日の「公主嶺会」に遠い長崎から坪井泰助、哲哉父子が訪れた。この1月、哲哉さんの夫人(久美さん)のメールから始まった涙と歓喜、ドラマティックな物語。その経緯をたどってみる。      公主嶺の情報を知りたいです    初めまして。私はKT(坪井久美)と申します。私の夫(哲哉)の祖父が公主嶺にいたのですが、戦後消息が分からないままと聞きまして、ずっとモヤモヤしています。祖父の情報の中には長崎の師範学校を出て教員として公主嶺にいたそうですが、どこの学校なのかもよく分からない状態です。遺品の中には中国人の名前がたくさん書かれており日本人学校以外に学校ががあったのでしょうか?  また、夫の父(泰助)は公主嶺の病院で生まれ、生後1ヵ月で敗戦を迎え、祖母と二人で引き揚げてきたそうです。私たち夫婦にも息子が産まれ、祖父からの命のリレーに感謝するとともに、一人息子や夫のルーツであり満洲の地に行き、祖父を感じたく思います。どうか、どなたかお力をお貸しいただけないでしょうか?もし良ければ下記に連絡をください。よろしくお願いします。 2017年1月20日 **@***/JP   すぐさま返信して、以後、メールで交流すること8回に及んだ。 http://38300902.at.webry.info/201702/article_17.html …

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