「ねんきん 江東」 2018年 2月号

 全日本年金者組合江東支部の会報、2018年2月号(NO.277号)を頂いた。昨年は同組合の機関紙コンクールで最優秀賞を獲得しただけに、内容、編集ともに素晴らしい。とりわけ3月10日の東京大空襲に関連した4面のコラム「りれーでひとこと」に目が釘付け。   りれーでひとこと ■「燃える川」■■  永井 功   江東区役所入口に母子像が建てられています。1945年の大空襲は3月9日夜半から10日までの数時間の爆撃で10万人以上の尊い命を奪い、江東区は焼け野原となりました。再び戦争はしないと誓って母子像が建てられました。  「江東区に慰霊碑を創る会」が1972年に橋本与志子さん、永井和子さんが発起人となりつくられました。2月から署名を始め3月4日に約300筆の署名を添え区に請願したのがはじまりです。  1年がかりの運動が実って、5月8日請願が採択され建立されたのです。署名とともにすすめたのは、区内で被爆した人たちから戦争体験を聞き、文章として残すことでした。文集「燃える川」が72年に創刊され、5号まで発行されました。  永井和子さんは次のように語っています。「真実とはこんなに強く人の心を打つものでしょうか。タイプを打ちながら幾度も涙で活字が読めなくなったり、1行を打ち終わるのに倍の時間を要してしまった」  いま、憲法9条は重大な危機に面しています。全国ですすめられている3千万署名、改憲反対の声と怒りの炎を大きく広げ成功させましょう。 【注】「江東区に東京大空襲の母子像を…

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詩集 ロ号33番 永井和子 -8-

 詩人 永井和子(1934~2015)年、彼女の処女詩集。身辺に起きた細々とした出来事を詩にうたいあげてつづった。全55篇からなる長編だが、順次手元に届けたい。 ■夜のベッドで  わずかな残り布を裁ち合わせ つづくり合わせて  小さな娘の小さなブラウスが  一枚できた  子供たちが寝入ってからの  ほんのわずかの時間に  音をしのんでかけたミシン  ただそれだけの仕事に  なにかみちたりた思いで眠るわたしを  かなしいと思う  ・・・・・・・・・よ  おまえはただ 母 それだけであってよいのか  美しい母 優しい母と  呼ばれることにためらいを感じるわたしは  いかに生きるかを苦悩する  一人の女でもあるのだ  子供たちよ  いつかはこの母を理解してくれるだろうか   一人の女として 一人の人間として  おまえたちの眠りを妨げまいと  灯りもないベッドの中で  指先のなれだけをたよりに  たどたどしい詩を書きつづけるわたしを                                   63・9・10

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詩集 ロ号33番 永井和子 -7-

 詩人 永井和子(1934~2015)年、彼女の処女詩集。身辺に起きた細々とした出来事を詩にうたいあげてつづった。全55篇からなる長編だが、順次お手元に届けたい。 ■ひとりの時間     うす汚れた空と  うす汚れた街の間を  ひらめきに似て走りすぎる風邪のように  ときおり  わたしの耳たぶをくすぐるひとりの時間がある  惜しみ惜しみ掌の上にのせて  こっそり味うような ひとりの時間がある  しかしその時間はあまりにもわずかで  嬉しい吐息の間にすぎてしまう・・・・・・  だからわたしは  せいいっぱい肺をからっぽにして  白い壁をみつめるだけ  じんと痺れる指をにぎりしめながら・・・・・・  63・5・30

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詩集 ロ号33番 永井和子 -6-

 詩人永井和子(1934~2016)年、彼女の処女詩集。身辺に起きた細々とした出来事を詩にうたいあげてつづった。全55篇からなる長編だが、順次お手元に届けたい。 ■大きな手が欲しい わたしは大きな手が欲しい わたしの胸のなかに いっぱい詰まっているすばらしい言葉を ぐわつとつかみだして 紙の上に叩きつける そんなことができるような 大きな手がわたしは欲しい 62・9・22 ■五月の緑 「都下二十三区の内 最も甚だしい汚染」と 厚生省白書にうたわれたここ江東区の一画 それでも五月の暦がくられれば 立ち枯れそうな街路樹にも緑がよみがえる うす汚れ ほこりまみれの五月よ 黒くにごり 悪臭のつきまとう五月よ スモッグに濾されてようやく落ちてくる 太陽を抱きしめるように やわらかな緑が呼吸(いき)づいている 埃になぶられ 煙になぶられ それでもよみがえった この悲しい五月の緑よ この緑のように わたしの詩もよみがえっておくれ 63・5・13

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詩集 ロ号33番 永井和子 -5-

 詩人永井和子(1934~2015)年。彼女の処女詩集。身辺に起きた細々とした出来事を詩にうたい上げてつづった。全55篇からなる長編だが、順次お手元に届けたい。 ■ロ号33番   大震災直後に建てられたという  鉄筋コンクリート四階建のアパート  当時流行したのだろう  赤レンガ造りを模し  その好みらしいゴテゴテした飾りを取りつけたアパート  一階は貸事務所  二階以上各階四所帯 一むね約十二戸  イ号からホ号まで六十世帯以上を住まわせ  同じ構えに整えられ  同じ年月に古び損じて  手すりの飾りレンガは落ち  通路に面したガラスはこわれ  戸は大半さびついて動かず  少しの雨水が吹きたまれば  四階から一階まで水漏りの被害をこうむる  このわびしいが しかし  とうぶんこわれそうにもないアパート  ここ四階のテラスに立って  わたしはわずかに苦笑する  春から夏へ 秋から冬へ  幾代わりもの生活をかかえて  年老いてしまったこのビルディング  そしてここに仮睡の夢をみるわたしは  何代目かの  ロ号33番室の主  62・8・25

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「鳩ポッポの歌」 1977年9月27日 永井和子

 夏の名残を感じさせる汗ばむような陽気の日でした。のどかな昼下がり。家族の穏やかな日常が突然絶たれました。空から落ちてきた1機の米軍機によって▼1977年9月27日。厚木基地を飛び立ったファントム偵察機がエンジン火災を起こし、横浜市内の住宅地に墜落しました。(しんぶん「赤旗」9月27日ー「潮流」)  「バイバイ」の言葉と、鳩ぽっぽの歌を口にしながら息を引き取った2人の幼子。母の林和枝さんは全身の皮膚の8割が焼かれました▼死の淵をさまよいながら4年4カ月、過酷な治療に耐え続けた和枝さん。一方で米兵のパイロットは墜落前に脱出して無傷。すぐに自衛隊のヘリコプターで運ばれ、日米地位協定によって事故の究明も閉ざされました▼妻の悦子さんが大やけどを負った椎葉寅生さんは、家族ぐるみで米軍を裁判に訴え、賠償を認めさせました。「安保条約をなくし、基地をなくせば、あんなことは起こさなかった」と▼日本中が悲しみと怒りにふるえた事件から40年。今も空を見上げれば米軍機がわが物顔で飛んでいます。墜落や落下物、とどろく爆音。被害に苦しむ住民を尻目に、米軍基地の強化が進められ、沖縄をはじめ全国で訓練が拡大しています▼不平等な協定も残されたまま。国民の安全が脅かされている現状こそ困難といわずして何と。「あんな飛行機さえ落ちてこなければ、今頃は幸福に暮らしていることでしょう」。子どもの死をつげられた和枝さんが日記につづった言葉は、米軍の横暴に手を貸す安倍政治にも突き刺さっています。     鳩ポッポの歌      …

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柳条湖事件86年で式典 中国

 日本の中国侵略の発端となった1931年の柳条湖事件から86年を迎えた18日、中国遼寧省瀋陽市の事件現場近くの「九・一八歴史博物館」で記念式典が行われました。(9・19 しんぶん「赤旗」-小林拓也記者)      市民が犠牲者を追悼   市民や学生ら1000人が参加しました。午前9時18分に瀋陽市内に警報が鳴り響き、市民が侵略の犠牲者に黙とうしました。中国メデイアによると、黒竜工省や吉林省、山東省など中国各地で記念行事が行われました。  18日付の中国人民解放軍の機関紙・解放軍報は論評で、二本の歴史教科書問題や南京大虐殺の否定などを挙げ、「日本の一部の生j組織や政治家は歴史問題でたびたび『記憶喪失症』になる」と批判。「日本の右翼勢力の国際的正義から外れたやり方に対し、警戒せざるを得ない」と警告しました。 【追記】当時、長兄(一男)は奉天(現瀋陽)中学に在学中、爆発音を聞いたという。僕は吉林省公主嶺に在住の母の胎内にいた。翌1932年4月6日生まれる。

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詩集 ロ号33番 永井和子 -4-

 詩人永井和子(1934~2015)年。彼女の処女詩集。身辺に起きた細々とした出来事を詩にうたい上げてつづった。全55篇からなる長編だが、順次お手元に届けたい。 ■その匂い(二人めの子を迎えて)   着物を脱ぐときにも  忙しく立ち働くときにも  あるいは  夜更けて冷たいふとんにもぐりこむときにも  はっと胸をうつ匂いがある  頼りなげに甘く  しとしととからみつくようなその匂い  甘えかかり  骨なしのようにもたれこんでくるその匂い  わたしの胸の双つのふくらみから  小さなベッドの中のやすらかな寝息から  たちのぼってくるその匂い  わたしは顔をそむけてその弱さに反撥する  全身でよりかかってくる甘さに反撥する  しかし ときに  疲れきった一日の終わり  その甘さに溺れてみたい誘惑もある  そのセンチな誘惑を頑なに拒むことで  わたしはわずかにわたしの呼吸を保ちつづける  62・2・24  ■お日さまが笑うと(夫の誕生日に)   お日さまが笑うと  こどもは楽しい  お日さまが笑うと  こどもは嬉しい  けれど お日さまが  やってこない日もある  そんなとき こどもは  締めきった部屋のなかで  顔をしかめている  62・4・6 

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詩集 ロ号33番 永井和子 -3-

 詩人永井和子(1934~2015)年。彼女の処女詩集。身辺に起きた細々とした出来事を詩に拾い上げてつづった。全55篇からなる長編だが、順次お手元に届けたい。 ■一つの言葉を   一つも言葉を表から見 裏から見  あるいはまた右から眺め 左から眺め  あらゆる場合のあらゆる反応を試みあってから  さて了解し  握手しあったわたしたちであったが  今は  一つの言葉に疑問をさしはさむ  時間さえなくなったのか  61・6・2 ■ひばりは   ひばりは  きまぐれに歌っているのではない  ひばりは  あそびごとに歌っているのではない  せいいっぱいの生命の喜びが  そのさえずりにこめられているのだ  しかしわたしには  わたしの生命の燃焼を叩きつける  力もないのか  61・6・13

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詩集 ロ号33番 永井和子 -2-

 詩人永井和子(1934~2015)年。彼女の処女詩集。身辺に起きた細々とした出来事を詩に拾い上げてつづった。全55篇からなる長編だが順次お手元に届けたい。 ■疑 問   わたしの胸の内には  厳しく耐えぬいてきたものはないのか  いつもいつも海綿のように  甘い感傷ばかりを吸ってきた胸には  二十七才の夏を迎えようとしている今となって  生きることの意味を  みたび問いたださねばならないとは  炎のようにつらぬいたと  自ら誇った青春だったが  無意味な年令を重ねてきたにすぎなかったのか  この手がなにをうみだしたか  この涙がなにをうみだしたか  誰がその成果をあかしてくれる?  わたしでさえ  わたしでさえ 疑わしいものを?  61・6・1

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詩集 ロ号33番 永井和子 -1-

 詩人永井和子(1934~2015)。彼女の処女詩集。身辺に起きたこまごまとした出来事を詩に拾い上げてつづった。全編55篇からなる長編だが順次お手元に届けたい。          序   詩    生命あるものが呼吸するように  わたしは詩(うた)をつくる  母親のお腹をけって出た新生児が  生きるためにもがくように  わたしは詩をつくる  おしゃべり好きのあなたも  仕事に忙しいあなたも  生きるために無意識に呼吸するように  わたしは詩をつくる  生きていくために誰もが呼吸するように  わたしは詩をつくる    64・12・31 

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詩集 ロ号33番 永井和子 はじめに

 詩人 永井和子が逝ってもう二年を過ぎた。遺された彼女の「詩集」は三十数冊に上る。その一つひとつを読みほどくほどに、同じ思いを、日々の暮らしをともにしたことなどが、よみがえってくる。これは彼女の処女詩集、名づけて「ロ号33番」。55篇からなっている。順次書き留めていきたい。  <あとがき>   1957年私と夫は結婚した。その後の二年間は、はりつめた、それだけになにをいうこともない時期だった。  この詩集にまとめた詩は、それ以後の五年間に生まれたものだ。この五年間は複雑だった。現在、五歳の息子と三歳の娘が生まれた。夫は三度仕事を変え、そのたびに新しい緊張と忙しさで疲れるふうだった。私自身も、子供を育てる忙しさのなかでいくどか詩を見失い、いくどか絶望的になった。そして私たちは、少しずつ生活の根を深く強く張っていった。  ロ号33番は、その五年間の私たちの生活の場、つまり古ぼけたアパートの部屋の番号なのだ。  はぎしりしている詩も、子供がかわいいという詩も、夫に話しかけている詩も、美しいものに感動している詩も、ある。ぐちだけはあまりいわぬように努力してきたつもりだがそのほかの生活にまつわるあらゆる感情が、この詩集にはあるはずだ。  それが怒りであれ、喜びであれ、悲しみであれ、いつも明日にむかって生きていこうとする私の、意志から生まれた詩たちであることがわかってもらえたら、嬉しいと思う。    1965年5月      永井和子  つづく

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戦後72年 「平和の俳句」 -29-

 7月第4週の「平和の俳句」・東京新聞は惜しくも選に漏れた作品の中から事務局の記者が選んだ1句を二ヶ月に1回「特集」で紹介しています。今回は文化部・小佐野慧太記者の推薦句です。    罅われし戦時の湯飲み撫で平和          大塚山吉(85) 千葉県松戸市    「戦時の湯飲み」はビルマで戦死した兄の遺品。出世したあと、家族がとっておいたものを譲り受けた。「兄貴の形見。宝物です」と作者は話す。日常の庫氏で使うことはなく、大切に保管しているという。「罅(ひび)」という言葉に、二度と戻らない時間のかけがえのなさを感じる。    十三の夏は暑くてひもじくて       相馬里子(85) 東京都狛江市    平和なる音たて焼ける目玉焼き       榎本  久(70) 埼玉県秩父市 ◆三才の子に百年の平和欲し 増谷信一(62) 大分県中津市 2017・7・16 【評】<金子兜太>孫の次の世代まで、戦争の無い時代であってほしいと望む。 <いとうせいこう> お孫さん、ひ孫を見て平和を思う人の句は多いが、シンプルで強い一句。 ◆朝が来た新聞がくる平和かな! 千賀のぶ子(85) 愛知県清洲市 2017・7・17 【評】<金子兜太>毎朝決おの日常まっていることがキチンと行われる。これが平和。 <いつせいこう>その日常を「!」で一気に元気にする! 言葉にはいちいち付けようか! ◆夏空を飾るがごとくデモの旗 松藤梨紗(16) 愛知県知多市 2017…

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沖縄詩人 永井和子 三回忌

 沖縄を詩(うた)って60年。今日7月8日は三回忌。写真はその永井和子の詩に心を動かされた人々が集って、2012年10月15日、沖縄・「平安座島」に建立された彼女の「詩碑」。挨拶する在りし日の永井和子。  永井和子の「詩碑」に刻まれた詩(ことば)  この腕のなかに  光るいのちを  見てごらん  この腕のなかで  笑ういのちを  見てごらん  あなたが  願うのは なに  あなたが  祈るものは なに  どこまでも青い海と  きらめく空  どこまでも つづく 平和

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「沖縄思う東京の一票」 今日都議選告示 

 今日6月23日は太平洋戦争の末期の沖縄での地上戦で犠牲となった人たちを追悼する「慰霊の日」だ。と同時に今年はこれからの日本の行く末を見通す東京都議選の告示日。思い出すのは東京で抗い、札幌に居を移し、60年の間「沖縄」を詩(うた)い続けて一昨年逝った詩人・永井和子。存命だったら今何を思うのか。  おきなわはみどりふかき島じま  赤いディゴの花が咲けば  月も酔い むせぶむせぶ  島びとのつきぬ悲しみ思うように  あなたの小指ひとつでも  傷つき 痛み 病むときは  だれが助けずにいるものか  知らずにすぎたそのつき日  わたしの心のこの悔み  わたしの小指ひとつでも  傷つき 痛むみ 病むときは  だれが呻かず忍ぼうか  今こそ知ったその痛み  わたしの心のこのこの怒り  もみくちゃにされ  くずかごにほうりこまれば  ただの 一枚の紙くず    しかし あなたの目をひけば  心を打てば  素晴らしい変革の武器  ビラよ  私たちの花よ  深川の町を  真実の声で埋めつくせ  【注】下写真は永井和子さんが1957年から28年間住んだ江東区白河の清州寮。 

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今日、永井和子の一周忌 平和を願う

今日、7月8日は詩人・永井和子の一周忌(1934~2015)。平和を詩って60年。「日本の命運がかる今」。存命だったらどれほどの想いで立ち向かっていただろうか。  彼女のあふれる感性になおいっそう親しみ、その平和を願う絶えない気概を受け継いでいかなければと思うばかり。 【注】  沖縄を詩い続けた永井和子の詩に心を動かされた人々が浄財を持ちよって集まった2012年10月5日。沖縄南部の「平安座島」(へんざしま)に建立した永井和子の「詩碑」。その日、碑の前であいさつする永井和子さん。「・・・この腕に」は碑の後部に刻まれた言葉。

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沖縄のための 創作曲集 永井和子⑥

この曲がなぜ「沖縄のための・・・」詩集に掲載されているのか詳らかでないが、おそらく「沖縄返還同盟」の機関紙に投稿されたからであろうと推察する。彼女の娘・亜子に送ったものと思われる。家の内では当時よく口ずさんだことが思い出される。   <ママ教えて>  詩 永井和子 曲 原ひろし    なぜ青い空がまぶしいの  なぜ花をむしって  すてたいの  ママ 教えて 教えてママ  なぜママの視線がうるさいの  なぜママにうそを  ついちゃうの  ママ 教えて 教えてママ  なぜ春の夜はせつないの  なぜどこか遠くへ  行きたいの  ママ 教えて 教えてママ

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沖縄のための 創作曲集 永井和子⑤

詩人・永井和子が返還前の1972年2月、「核も基地もない沖縄をつくるために」として書いた「東京ー沖縄」。沖縄返還同盟機関紙に寄せた連帯の詩に原ひろし(本名・上坪陽)さんが曲をつけました。   東京ー沖縄 詩 永井和子           曲 原ひろし    ひとつぶの種が花咲きみのるよう  沖縄を返せ この胸にとり返せ  民族のこの願い  よびかわす東京ー沖縄  ちかいは固く  この国に生まれ独立ねがうもの  アメリカの基地を この鎖断ち切れ  民族のこの願い  よびかわす東京ー沖縄  きずなはかたく    あたたかな潮につつまれたみどりよ  平和へとつづくこの島と海守れ  民族のこの願い  よびかわす東京ー沖縄  一つにもえて

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沖縄のための 創作曲集 永井和子④

昨夏札幌で亡くなった詩人の永井和子さん(81)。沖縄にこよなく想いを寄せて詩ってきた。今回はその4回目。写真は2013年沖縄の平安島に建立された自らの”詩碑”の前で詩の朗読をした。「メコンの子守唄」の小品だった。    メコンの子守唄         詩:永井和子 曲:原ひろし  豊かなメコンの  子守唄  わたしの心にひびけ  平和な夜を  とりもどせ  たたかいつづける  若者よ  広がるメコンの  子守唄  わたしの心にひびけ  やさしい母の  歌声よ  夜明けをねがう  娘らよ

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沖縄のための 創作曲集 永井和子③

永井和子(1934~2015)、大阪に生まれ札幌で没した詩人。慶応大学文学部を卒業後、主に沖縄をテーマに詩作に没頭、「沖縄詩集」「続沖縄詩集」などを次々に発表。沖縄に対する限りない思いを寄せて共感を得た。以下は小品だが歌いやすく友人の原ひろしさんが曲をつけた。 ▼1972年の作品  百まで生きて   詩:永井和子 曲:原ひろし    あんまーのか顔のしわふかいな  サンゴ礁のなかに  わきたつ潮のように  あんまーのしわを指でなぞる  ふるさと沖縄の  かなしみなでる  あんまーよ百まで生きておくれ  九十九まで  せめて生きておくれ    九十九まであんまーが生きて  はらのそこから  笑う顔をみたい

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沖縄のための 創作曲集 永井和子②

詩人の永井和子さんが「沖縄返還同盟」という市民団体の文化部に属していたとき、同盟の機関紙に寄せた詩。作曲家の原ひろしさんが曲をつけた「名護のがじゅまる」を紹介します。なお、1972年の作品と思われます。    名護のがじゅまる   詩:永井和子                  曲:原ひろし  名護のがじゅまるの大枝の高さや     雲をぬいてあれよ 空かかる  名護のがじゅまるの大幹の太さや     七、八里行ってもめぐりきらぬ  名護のがじゅまるの大根の強さや     海を渡てぃ大和の土をゆする 【注】永井和子、原ひろしさんは当時、「都職詩を作る会」(東京都庁)の同人。原さんはペンネームを三つ持たれ、詩はともろぎゆきお、作曲は峯 陽の名で作品を発表していた。本名は上坪 陽。

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沖縄のための 創作曲集 永井和子①

かつて、沖縄がアメリカの施政下にあったとき、沖縄県民はもとより日本内地でも「沖縄を返せ」と叫び続けていた市民団体があった。その中の文化部に続していた詩人・永井和子さんがその思いを書き続けた「創作曲集」がある。曲は原ひろしさん(本名・上坪陽)がつけた。 ▼1972年2月26日作     ゆうなの花の子守唄 詞 永井和子                   曲 原ひろし  おやすみかわいい子  おまえの夢のように  独立夢見る  ゆうなの花よ  おやすみかわいい子  おまえの頬のように  平和を歌っている  ゆうなの花よ  おやすみかわいい子  おまえの瞳のように  あしたを夢見る  ゆうなの花よ  ▼ゆうなの花

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詩人・永井和子 青山の無名戦士の墓に

日本の平和と民主主義、国民生活を守るために活動し、亡くなった人を追悼する「第69回解放運動無名戦士合葬追悼会」3月18日、東京都千代田区の日比谷公会堂で行われました。  今回新たに合葬されたのは、40歳から107歳までの1112人。合葬者の名前が一人ひとり読み上げられ、その中には、北海道・札幌市で、「詩の創作、平和、社会変革」の活動に、ひたむきだった永井和子(昨7月8日没)の名前も。これには長男の永井正己も参列。日本共産党からは、田村智子参議院議員が追悼の辞を述べ、参加者らは故人をしのび黙とうしました。  なお、合葬者名簿には旧知の今井栄一元江東区議会議員、江東区在住の歌人、作田きんさんの名前も見られ、静かに瞑目しました。  式終了後、参加者は港区の青山墓地の解放運動無名戦士墓前で墓前祭を行い、献花しました。 【注】3月19日付 しんぶん「赤旗」の記事

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永井和子としんぶん「赤旗」 「読者の広場」 ②

生前、ひところは毎月少なくとも月1回は『赤旗』の「読者の広場」に投稿していた詩人の永井和子さん。今、その切り抜き紙面が散逸、収集に苦慮中ですが、昨日膨大な資料の中から貴重な一遍を見出しました。2008年2月14日に掲載されたもの。紹介しましよう。    朝の駅頭宣伝 マイクも厚着        札幌市 永井和子(73)    私が本州から札幌に越してきて、29日で20年目になります。今年の札幌は、温暖化とはいうものの、例年にない厳しい寒さです。それでも朝の駅頭宣伝は休めません。顔なじみが、「あれ今朝はどうしたのかな?」と心配されるからです。  困るのは、寒さで電池が凍って音が割れることです。いろいろ考えて、ハンドマイクにオレンジ色のフリースを着せてみました。ハンドマイクの「ク」から取って、名づけて”Qちゃん”。  毎週金曜日に定例化した駅頭宣伝は、約10年で459回になります。さすがに猛吹雪の日はできませんが、体力がつづき、声が出る限りがんばって、週一回、社会の新しい動きと共産党の役割を訴えていこうと思っています。オレンジ色のフリースを着たQちゃんと一緒に。

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永井和子としんぶん「赤旗」 「読者の広場」 ①

生前、詩人の永井和子はたびたび「赤旗・読者の広場」に投稿していた。遺品を整理していたら少し黄いばんだ以下のような紙面の切り抜きが目に飛び込んできた。ほぼ8年前のものだが再現してみたい。    軍隊の正体が 見えた事故だ               札幌市 永井和子(73)    午前5時前のラジオ、うつらうつらと聞いていた耳に飛び込んだのは、イージス艦「あたご」が漁船に衝突したというニュース。「また、やった!」と瞬間感じました。  それから続々入ってくるのは、信じられない時事tばかり。漁船は、ちゃんと航行灯(赤と緑)をつけていたのに、自衛艦は気づかなかったといいます。直前まで回避作業もしなかったのです。  そして、この事故が防衛省には1時間半後、首相には2時間後と遅れたことについて、久間元防衛相には、「テロの場合と違うから、通報が遅れたのは二の次の問題だ」と、国会内で記者団に語ったそうです。  沖縄の少女暴行事件で、アメリカの軍隊は、日本国民を守ってくれるためにいるのではない、ことがはっきりしました。今度は、自衛隊が日本人の命を軽く見ているこおが証明されました。「軍隊は、国民の命を守ためにあるのではない」。沖縄県民は、戦争が終わって63年過ぎた今も、毎日、そのことを体で知りながら暮らしているのだと思います。   今は、漁業を継ぐ青年が減少するなか、父親の跡を継ぐと働いていた青年と父親は依然、行方不明です。「軍隊」への怒りを持て余しています。(2008年2月21日)

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沖縄、東京大空襲、九条を詩って50年 永井和子

1934年、大阪に生まれ、東京で青春を過ごし、札幌で詩作にいよいよ励んだ詩人の永井和子。その中で喜びと悲しみ、哀しさを身に刻み、そして怒りを燃やし、東京大空襲、沖縄に思いを寄せ、憲法9条を謳い続けた詩人・永井和子。昨7月8日他界した。関わりのある一人としてブログでその業績を讃えたい。    永井和子さんのこと    青木みつお   永井さんが今夏亡くなったという。しばらく前から治療中との報に接していたが、さみしいことです。わたしより四年年上だが、まだ亡くなるのは早い。もう一仕事してほしかった。  永井さんの最初の詩集は『ロ号33番』で、1965年刊である。書名は当時住んでいた江東区内の集合住宅の住居番号とのこと。そこは戦前に建った鉄筋コンクリートの文化住宅で、トイレは水洗だった。一家は夫、男児、女児の四人暮らしだった。「詩都」の前身といってもいい「詩の本」の時代のメンバーで一緒に詩のサークル運動をしていた。一度彼女の家で会合した時、中華料理を出してくれた。子どもさんは可愛い盛りだった。   1966年、『沖縄詩集』を出版し、彼女の家庭人としてのういういしい叙情から、社会的テーマに向った。積極性を明らかにした作品群だった。確か「小指の痛み」が『赤旗』に掲載されたのであった。返還前の沖縄に向けて会場デモにも参加していた。夫君の仕事の関係で、コピーの壁詩を次々発表し、知人たちに送りつけていた。   1971年 『約束』出版   1974年 『続沖縄詩集』出版   197…

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「永井和子さんのこと」 青木みつお

永井さんが今夏亡くなったという。しばらく前から治療中との報に接していたが、さみしいことです。わたしより四年年上だが、まだ亡くなるのは早い。もう一仕事してほしかった。 ▼右から2番目入り口から4階へ→「ロ号33」  永井さんの最初の詩集は『ロ号33番』で、1965年刊行である。書名は当時住んでいた江東区内の集合住宅の住居番号とのこと。そこは戦前に建った鉄筋コンクリートの文化住宅で、トイレは水洗だった。一家は夫、男児、女児の四人暮らしだった。「詩都」の前身といってもいい「詩の本」の時代のメンバーで一緒に詩のサークル運動をしていた。一度彼女の家で会合した時、中華料理を出してくれた。子どもさんは可愛い盛りだった。  1968年、『沖縄詩集』を出版し、彼女の家庭人としてのういういしい抒情から、社会的テーマに向かった。積極性を明らかにした作品群だった。確か「小指の痛み」が「赤旗」に掲載されたのであった。返還前の沖縄に向けて会場デモにも参加していた。  夫君の仕事の関係で、コピーの壁詩を次々発表し、知人たちに送りつけていた。(中略)      この間、「詩の本」の時代が終わり、その後永井さんは離婚し、北海道札幌市に移り、「新建」の機関紙に詩を発表したり、詩人会議グループ発展のために貢献した。  1998年、夏の詩の学校が北海道で開かれた折り、札幌で一緒にビールを飲んだ。数年後彼女が上京した折、新宿でビールを飲んだ。永井さんとは、会っている時間より、会っ…

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基地問題 「深層」伝える一冊 嬉野京子

辺野古新基地をめぐり政府と沖縄県は訴訟合戦の様相ですが、警視庁機動隊の投入を報じた3日特報面「第二の琉球処分か」に意見が多数寄せられました。(東京新聞・11月19日「応答室だより」-奥田雅弘)  大分県の女性からは「彼らは非暴力を基本に座り込みを続けている市民。装備に身を固めた機動隊からは、市民を暴力によって押さえ込もうとしている姿勢が明らかです。なぜ、真正面から話をしようとしないのでしょうか」と疑問の声。一方、都内男性は「西南戦争の抜刀隊を思い起こしました。民主党がこの体たらくではー」と最大野党にも矛先をを向けています。  政府の有無を言わさぬ姿勢は、強権を振るった米軍占領時代とダブリます。半年前の5月5日特報面「不屈の詩 沖縄編」で、写真家・嬉野京子さんが撮影した米軍トラックによる「少女轢殺」を掲載したところ、「50年前の決死の一枚は衝撃的だった。そのエピソードを中心に、彼女の生涯が今に至る沖縄の苦悩をあぶりだして、まるで一本の映画を見終わったような読後感だった」(都内男性)との意見に交じり、」「毎日住民たちは米軍に隠れおびえながら生活し、今でも夢にみるほど」(宜野座村出身・90代)など沖縄出身の二人の女性の声が胸に響きました。  その嬉野さんが近著「戦場が見える島・沖縄ー50年かんんの取材から」を出版しました。過酷な写真と証言から、連綿と続く基地問題の深層を伝える必読の一冊です。     いまもその島は  永井和子 昔…

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「沖縄に青い海と空を そして平和を」 永井和子

この7月北海道で他界した「沖縄詩人」とも言われた詩人の永井和子さん。沖縄に心をよせて40年。さる2012年10月15日、友人、知人、読者が中心になって沖縄の「平安座島」(へんざしま)に「永井和子の詩碑」が建立されました。あれから今日は3年、「碑」に刻まれた彼女の沖縄への思いを読み返してみる。 この腕のなかに 光るいのちを 見てごらん この腕のなかに 笑ういのちを 見てごらん あなたの 願うものは なに あなたの 祈るものは なに どこまでも青い海と きらめく空 どこまでもつづく平和 【永井和子関連アドレス】http://38300902.at.webry.info/theme/dbf8344588.html

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詩人・永井和子さん 札幌の「不滅の碑」に埋葬

2015年9月20日、この7月8日に他界した詩人・永井和子さん(81)の納骨式が滞りなくおわりました。ところは札幌市南区の「北海道で活動した日本共産党員の墓碑」前でした。以下は7月10日の「お別れ会」によせられた弔辞の全文です。         弔辞        永井和子さんへ    あなたは南区九条の会創立の呼びかけ人でした。そして事務局員として九の日の真駒内・澄川駅頭でのマイク宣伝署名運動 憲法フェスティバルの構想企画などの中核になって反戦平和運動に貢献してくださいました。ありがとうございました。  毎年開催した憲法フェスティバルのオープニングの「詩と音楽で憲法をうたう」イベントの台本を執筆 仲間とともに出演して平和への思いを訴え続けてきた人です。  昨年度の憲法フエスティバルの平和憲法を次の世代にまでつなごうと代品を書き自ら進行役をつとめた姿がみんなの胸に焼きついております。  永井さんが書いた「ねがい」という短い詩がパンフに残っています。  「私には子どもが二人いる。男の子と女の子。四十を過ぎているが子どもは子ども いつも輝いて生きていてほしい。笑いながら端ってほしい。何よりも私より先に死なないで戦争なんかで 死なないでほしい」  永井さんの平和運動の原点は可愛いわが子の命を守るということだったのですね。  政府の誤った政策によって再び戦争の惨禍が起きることがないようにと戦争の反省からつくった憲法の平和主義・基本的人権の尊重。国民を主権者とする民主主義を…

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